Log
こんばんは〜
年末ですね。ねんまつ。みなさんもクソスレに「ねんまつ」ってレスしていることかと思います。あるいは、クソスレたてたら>>2が「ねんまつ」でキレてることかと思います。
そんな年末ですが、少し遡って12月27日は丸山彩の誕生日です。クリスマスをちょっと過ぎてしまい、何でもない日に産まれているのが、いかにも丸山らしいですね。12月27日は、「ピーターパンの日」とか「浅草仲見世記念日」とか下らないよく分からない「日」でしかありません。27日は、26日という「クリスマスの翌日」でも、クリスマスより大晦日が意識される28日でもなく、クリスマスをちょっと過ぎてしまった日だと言えます。ちょっと過ぎてしまっているために、27日は、丸山自身あるいは我々信徒によって意味づけられなければ、それこそ何の日でもなかったわけです。それを既存のコードの中で無理矢理に意味=価値づけることで、丸山の偶像性を保証する。その後に、彼女の生誕自体によって特別な日になっていく。丸山彩とは、既存の価値体系を肯定的に利用しながらアイドルになっていく、そういう存在なのですね。そもそも、丸山が「クリスマス(イブ/の翌日)産まれなんです!」とか言ってたら、私たちは彼女にこれほど惹かれていません。それは、丸山の地毛がピンクではない、という聖典解釈と軌を一にする丸山像です。つまり、特別な何かを持って産まれたわけではない、まさに「アイドル」を目指す少女、という現行の通説的な丸山解釈に合致する誕生日として、12月27日を目することができるのです。以上妄言でした。
で、こんな話はどうでもよくて、年末年始は図書館も閉まり、NDLも使えないので、私はとても暇です。暇なので、兵庫県にあると聞く「丸山駅」まで行ってきました。片道一時間強もかかるヤバ田舎です。
やほ〜みけりあちゃんです
別に何も書くことなど無いんですけど、20日分の日記を書くだけ書いてアップロードし忘れていたので、ついでに書いておこうと思います。夏休みの小学生みたいですね。いや、ちゃんと20日に書いてはいたから……!
「宿題やったんですけど忘れて来ました!」みたいですね。段落かえたのにまだ擦るの? 止めときますか〜
今日は、チビチビ読んでいた石原千秋『漱石の記号学』を読み終えました。返却期限が今日迄だったのですよ。最近「記号論」とかいうのを身につけようと苦労していて、その一環として読んでみたわけです。この前に『記号論のたのしみ』という別著者の本も読んでいたのですが、やっぱり千秋は面白いですね。「漱石研究で最強は誰?」と言われれば流石に小森陽一と答えざるを得ないわけですが、とはいえ石原千秋も最強です。個人的には、『三四郎』の美禰子がよく分からない男と結婚したのは、彼女のふるまいが、本郷(東大)文化圏内の人間の視線によって「愛」を示す記号として衒学的に意味づけられてしまう、その状況から逃れるためだったのだ、って箇所が一番おもしろかったです。雑魚が要約しても伝わりませんね。気になった人は200ページ位から読んでみると良いのではないでしょうか。「みけりあの理解は間違っている」というご指摘も受け付けておりますよ。文学研究に興味がない人にとっても、『読者はどこにいるのか』とかなら読みやすいうえに面白いのではないかと思います。
他には、前の指導教官の本を一章だけ読みました。前に読んだ本の復習です。面白いんですけど、欲しかった情報がなくて困りました。同時代状況を自分で記述するのは大変ですし、できる自信もないので、「叩き台」的に扱える本が欲しいんですけどね。ややこしいです。
こんばんは〜みけりあちゃんです。
今日は久しぶりに母校へ行きました。『中央公論』という雑誌の古い号が、所属校にも、図書提携校にも所蔵されていないのですよ。これまでも何度か行って、五ヶ月分くらい全頁コピーしているのですが、勉強しているうちに、もう一ヶ月分ほしくなってしまいました。一号あたり約100頁の雑誌なので、コピー代は500円くらいかかります。高くてムカつきますね。早く所属校附属図書館でも所蔵してほしいです(研究室でスキャンすればタダなので)。
それにしても、学部の頃は毎日(のように)通っていたはずなのに、改めて行くとめちゃくちゃ遠く感じました。片道一時間くらいかかるんですよね。帰ってからというもの、腰に激痛が走っています。私の腰痛の原因を、半分くらいは長距離通学に帰することができるかもしれません。電車もバスも苦手です。
たしか昨日(2024年12月19日)の晩、t4vちゃんのサイトを見ていたら、弊サイトでも話題にした前田愛さんの話をされていました。普通にWeb拍手からメッセージを送ろうかとも思ったのですが、「サイトの日記に自分のサイトの日記でコメントする。 なんかテキストサイトっぽい!!」と言われるとたしかに!!となるので、私もここでコメントしたいと思います。よく考えると理由になっていませんが、とはいえ「テキストサイトっぽさ」に惹かれない人間はテキストサイトを見たり作ったりしません。
それで本題なんですが、前田愛の文章って国語の教科書に載ってたんですね〜 驚きです。ググったところ、「ベルリンの「内」と「外」」、「呼びかける言葉」、「ことばと身体」という評論が掲載されていた(る)らしいです。ただ、ソースとして信憑性があるのか怪しいサイトではあります。リンクさせてもらっといてそんなこと言うなよ。
他を読んだことがないので何とも言えませんが、この日記を書くに際して「ベルリンの「内」と「外」」の原型であろうと思われる「BERLIN1888」を読み返したところ、やっぱり難しくて困ってしまいました。面白くはあるんですけどね。ちなみに、高校国語の教科書には評論として夏目漱石「現代日本の開化」も載っているそうですよ。高校生って難しいことやってんですね。高校は中退してしまったので知りませんでした。
t4vちゃんの日記では、最後に「前田亜季さんの宇宙一かわいいCMを見ながら終わ」っていました。三人も前田愛さんがいると言うのに……! 前田愛さんの「懐かしい」感じが前田亜季さんの「懐かし」さに負けてしまったのでしょう。むしろ三人の前田愛さんに勝つ前田亜季さんの強さに注目すべきかもしれません。ところで、前田亜季さんって前島亜美さんに字面が似てますね。フラッシュ暗算みたいにパパッと出されたら分からないかもしれません。「パッパッパッ」「あみた、あみた、あみたじゃない!」みたいな。楽しそうですね。
*前回の日記に「『近代読者の誕生』」と書きましたが、「『近代読者の成立』」の間違いです。弊サイト読者の皆様と、地獄にいる前田愛さん(文学者)にお詫びします。
やほー。みけりあちゃんです。
12月11日で今年度の発表を全て終え、開放的な気分で研究の真似事をやっております。夏季休暇中に作品を変えて、そろそろ四ヶ月ですかね。ようやく1.5万字くらいになりそうなネタができてきましたよ。一度文章にして、先生に見てもらいましょうかね〜
そんな感じで気分の良い中、今年の三月頃に注文していたアルティメットまどかちゃんのフィギュアが届きました。
ごぶさたです。みけりあちゃんです。久し振りに更新しようと思い立ったは良いものの、ファイルの保存場所を忘れてしまっていました。たるんでるな。
更新したいな~と思ったのは、t4vちゃんの日記(2024年11月24日)を読んでいた時です。一部の書籍のいわゆる天は、「手間を省くために仕方なくガタガタなのかと思ってた」けれども、実は「わざとで、古くからの本の作り方にならった」製法なのだと知って驚いた、という内容ですね。
情報源として挙げられていたウェブサイトには、この製法を採用する動機について、「文庫のオリジナル、当初の形をいまに受け継ぐため。紙の束で雰囲気を表現したい」からだ、と書かれています。つまり、最初の文庫本が、この天を切り揃えない形状(「天アンカット」)で販売されたため、現在も同じ形状を保持している、と言うのですね。
それでは、なぜ最初の文庫本は「天アンカット」を採用したのでしょう? 先掲のウェブサイトは、この製法の利点として、「余分な紙を切りおとさないので、少しエコだ」と述べています。ですが、『日本大百科全書』には、「文庫本に社会的な評価を定着させたのは『岩波文庫』(1927)である」と記されています。一方で、『日本国語大辞典 第二版』の「エコロジー運動」項によれば、この運動は「一九七〇年代、〔略〕フランスを中心に世界各国で起こったもの」であります。したがって、「エコ」をめぐる社会的な問題意識は、文庫本を定着させた岩波文庫の登場から、約40年も遅れて生じたのです。そのため、岩波文庫は「エコ」だから天アンカットを採用したのだ、とは考えられません。
もう一度『日本大百科全書』に返れば、そこには、岩波文庫が形式面で「『レクラム文庫』を範としている」という記述が見つかります。たしかに、たとえば谷崎潤一郎が「羹」という小説のなかで、「レクラム本のアンカツトの頁を指で切り開いて、物珍しさうに一枚一枚眼を通した」と書いているように、「レクラム本」は「アンカツト」の形式に成っていたようです。さらに、この「アンカツト」を「指で切り開」く、という記述からは、岩波文庫とレクラムとの差異が浮かび上がってきます。すなわち、岩波文庫のアンカットは天が〈切り揃えられていない〉形式である一方、レクラムのそれは、頁同士が〈切り離されていない〉状態なのです。
この〈切り離されていない〉アンカットは、1905年の10月に出版された、夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上編にも採用されています。この一冊は、発行されるやいなや多くの評価を受けました。興味深いのは、それらの評の多くが、『猫』の内容と同じ程度か、むしろ内容以上に、その一冊の形式に言及していることです。ここでは一例として、1905年10月の雑誌『学燈』を見てみましょう。「殊に我等ビブリオフヮイルをして喜ばしむるは其装釘にして、欧州最近の高雅なる趣味沢々、従来の俗悪若くは拙凡なる洋装と全く面目を新たにす」。言い換えれば、『猫』の装丁は、愛書家を喜ばせるほど高尚で上品な西洋的趣を備えているのだ、と言うのです。もちろん、その「高雅な趣味」を支えている要素として、彼は「アンカツト」の形式を挙げています。(この段落は、紅野謙介『書物の近代』(筑摩書房 1999年12月)を参照)
こんばんは。大学院での生活が辛い、というのを言い訳にして、気付けば四ヶ月も更新を怠っていました。提出物類も一段落したので、先日ふと思い付いて行った、暗峠の話でも書いてみましょう。
最近は、国語学とか近世文学とか、よく分からない講義のレポートに忙殺されていました。そんな日曜日、なんとか国語学の方を仕上げ、近世の方も構想がまとまった段階で、漠然と、「どっか行きてえな」の欲求が湧いてきた訳です。
こうなったら止まりません。レポートとかいう書く方も読む方も詰まらないゴミみたいなwordファイルを、しかし習慣と義務感から丁重にバックアップして、とりあえず出かけられる格好(普段はパジャマで生活しています)に着替えます。そして、Google mapを開いた時、なぜか奈良県が目に留まりました。京都の大学に通っていた以上、奈良県は端的に敵なのですが、今や京都には無縁です。とはいえ、今やバイトもしておらず、金銭的に困窮しているので、店しかない都会に行っても仕方がありません。つまり、何にもなくて若者がみんな出ていくような田舎が好ましいことになります。そこで、高校生の頃から気になっていた、暗峠を目的地に極めました。
移動手段の選択肢には、電車・原付・車が与えられていました。時間が午後三時頃だったので、片道二時間を要する電車および原付は却下です。さらに、峠に軽自動車で行っても辛いだけなので、選択肢はどれも、実質的に有効ではありません。そのため、母親のPCXを勝手に使うことにしました。ちなみに、暗峠は日本一急勾配の国道だと言われており、ちょっと検索すると、「バイク転倒!」みたいな煽り文句の安易な動画が無数に確認できます。動画には見る価値もなさそうですけど、道端には事故注意を喚起する看板が乱立しており、道路にも異常なタイヤ痕が散見されました。乗り慣れないバイクで行くのは危険みたいです。
こう書くと事故のフラグなのですが、実際には無事に上り下りできました。ただ、坂の角度は本当に異常でした。実家も山を切り崩した斜面に位置しているので、噂だけで大差ないだろうと踏んでいた訳ですが、実態は予想をはるかに上回っていました。あれでは、赤い原付を路肩に停めることもままならないでしょう。かの地に務める郵便局員はどうしているのでしょうね。私はバイクを停車できず、ほとんど写真撮影の余裕も得られませんでした。
そういうことで、急勾配にやられて母親のPCXを壊さないよう、ビビりながら運転したのです。しかし、本当に恐ろしかったのは、急な坂より異常な虫の量でした。少し平坦な場所に停まって、写真を撮ろうとするや否や、どこから湧くものか、デカい蜂とか蛾みたいなのが、必ずと言ってよいほど出没します。坂にビビッてトロトロ走るより、虫にビビッて急発進する機会の方が多かった気もします。ただ、いかにもな山で、空気も少し冷たく、川の流れも心地よかったです。なので、車の場合、擦違いで詰む危険性にさえ注意すれば、虫が平気なみなさんは行ってみれば楽しいと思います。
昨日、入学式が開催されまして、今日は、新しい学校でガイダンスを受けてきました。環境の変化にてんてこ舞いです。第一、どの名前の校舎がどこに位置するのか、これさえ不明瞭です。元の学校は狭さが楽でしたけど、こっちでは脚まで疲れるようです。
ガイダンスの後、ちょっとした懇親会がありました。暇を用意できた先生方数人やら、院生やら、学部生やらが集まって、自己紹介などする場です。言うまでもなく、私はこういう場が大嫌いです。気を遣うのも遣われるのも、自分の過去を説明するのも他人の話を聞くのも、全部々々面倒臭いんですよ。なので、辞めにして帰ってやろうかと思いました。けど、演習の授業なんかで「なんか他大から来たくせに懇親会に来なかった奴の発表だ……w」とか思われると癪なので、とにかく出席しました。
そこには、私と同様に他大から来た人間もいました。しかも、彼は私と同じ年に、同じ大学で学部を終えていました。こんなこともあるのですね。全く面識の無い人間でしたが、不思議なことです。とはいえ話してみると、私の嫌いな性質を凡そ持っているんじゃないかと疑われるような、不愉快な人間でした。まあ、私の気に入る人間という概念は、実質的に非存在者の名なのですけどね。誰を見ても嫌いだと言っている気さえします。しかも、彼にも話し相手が不在であったらしく、幾度か絡まれて、嫌な気分でした。
近頃、何もかもが面倒臭いです。どんな廉で産み落とされたのでしょうね。実に嫌な感じがするので、ウットとかいう睡眠導入剤(?)を飲んで寝ようかと思います。こう書いてから、箱を見ると空でした。薬局へ行くより、ヨドバシカメラでネット注文した方が安いです(ここ、お役立ちブログ)。
ぐーてんもるげん! 別にキルミーベイベーを見た訳ではありません。
今日はアルバイト最終日でした。大学院進学を機に辞めることにしたんですよ。学部入学の時期から始めたアルバイトであったので、四年間ほど勤めたことになります。そう考えると長いですね。道理で、初期に見た構成員を見失う訳です。しかも、四年間も働いていながら、あまり感慨も湧かないようです。詰まらないバイトでしたからね。浮ついた時間を、少し換金していた迄の事です。家からは少し遠いので、もう二度と入店しないかもしれませんね。私が寂しがらないのと同程度に、私を寂しがる人間も、あそこには存在しません。そう考えると心細いですね。
心配なのは、長期休暇の曜日感覚がバグる事です。月曜・水曜の固定シフトでしたから、その意味では有意義でした。しかし、こうして退職を喜んでいられるのも僅かな期間に限られます。図書やアニメグッズの代金が必要ですから、何か稼ぎ口を見付けなければなりません。塾講師などが良いかと思っていますが、学士如きに教わることなどあるのか、疑問です。まあ、未来の私が良いように都合しましょう。
そういえば、三日前の24日、自治体主催の高槻やよいちゃん誕生日会に行ってきました。今年も仁後真耶子さんが来てくれて、雨風にもかかわらず、会場は賑わっていましたよ。風のせいで花粉が飛んで、仁後さんはガラガラ声でした。喉に来るタイプの花粉症なんですかね。仁後さん曰、滅多に生じない事態であったらしいので、珍しいものが見られた、と高評価しておきましょう。その方が幸せです。
会場には、高槻やよいラッピングの阪急バスやら、高槻やよいの等身大アクリルスタンドやら、仁後さんのサインまで展示がありました。気合が違いますね。来年も頑張って欲しいので、高槻市には無縁ですけど、五千円くらい御布施しておきました。やよいちゃん可愛いからね。ちなみに、25日に高槻のやよい軒に行こうかと思いましたけど、寒い雨で布団から出られず断念しました。引きこもりには、二日連続で雨の中を出歩く勇気など備わっていません。
ζ*'ヮ')ζ<うっうー!
やほー。micheriaです。
今日は大学の卒業式に参加してきました。私もとうとう卒業ですよ!卒業! 私も晴れて、学士(国文学)になりました。何事もなく四年間で卒業することができて良かったですね。親に経済力さえあれば、高校中退する程度に無能で社会不適合者でも学士を貰える時代ですよ。馬鹿げている気もしますが、親に経済力があっても学位を貰えなかった時代よりは良くなっているのでしょうかね。そもそも学位なんて要るのか? とか難しいことは分かりません。とにかく一安心です。
卒業式は、通っていた大学の付属校にあたる(?)女子大にて開かれました。そっちの校舎にはホールがあるのですよ。まあ、それも弊学キャンパスの真横に位置しているので移動は然程、苦になりません。式は、讃美歌やら聖書音読やら学長の御話やらと、入学式の焼き直しみたいな展開でした。キリスト教の学校では、ありがちな構成でしょう。今の学長は文学博士なので、新美南吉「でんでんむしのかなしみ」の話などしていました。戦前の童話など、私にはよく分かりません。学長の直後に聞かされた総長の御話は、しつこい位の創立者ageで面白かったです。創立者は素晴らしい人格者で、まさに目指すべき人物だ! みたいなことを延々と述べ立てます。弊学では見飽きる程に御馴染みの光景なので、最後の最後にも観測できて笑いそうになりました。あと誰かが、めちゃくちゃ雨が降っていたのに「このようなハレの日に‥‥‥」と言っていたのも面白ポイントでした。私は低俗なんです。
式を終えて、学位記や成績証明書など受け取った後、最後に思い出深い喫煙所でも行っておくか、と考えました。そこで、わざわざ生協(祝日にも拘わらず開店していた)で398円の傘を購入しまして、通いなれた道をフラフラ歩いていたのです。すると追い風が、私を送り出すように吹きました。四年間、良くも悪しくも変化してきた私の頭を、自然は変わらずに包み眺めていたのでしょうか。自然も新古も入り混じった京都という土地は、人間的世界の反映です。そうした空間の認識は、私を矮小化し、かつ、拡大します。だから、まるで世界と合一したかの気分になれそうな、気がしました。しかし、好意的な自然の振舞に趣を感じる間もなく、傘を持っていかれて、バキバキに壊されてしまいました。強めの雨が卸したてのスーツをびしょびしょにします。どうやら京都の風は、私を送り出すのではなく、追い出すつもりであった様子に見えます。まったく陰湿で不愉快な土地です。ここまで無駄な400円は人生で初めてかも知れません。本気で生協にクレームを入れに行こうかと思いましたよ。
最近の更新はお祝い事が続いてすみません。お前らは俺の鏡なので、おそらく性格が終わっていて、他人の慶事が嫌いだろうと思います。二次元美少女ならいざ知らず、喜んでいるだけの人間なんて見ても下らないと思います。実際、私も同級生と話して、彼等の輝かしい今後の展望を聞き、不愉快でもなければ面白くもない、最悪の気分になりました。私は大学院に進学しますけど、彼等の大部分は就職して行きます。自分の能や時間を換金して、生活を立てるわけです。なんだか恐ろしくなります。もちろん私も、職業から逃げて進学する心を決めたのではありません。しかし世間は、いやむしろ私が、黄白万能主義に傾いて、壮年者が金を稼がないのは悪だと言います。どうせ近々、その通りにしなければ立ち行かなくなるのですから、今は放っておけという気持です。自分に向かって言い訳をして、甲斐の無い話です。解脱を試みることにしましょう。
〈追記〉ゼミの飲み会に参加したら、私が来年度からお金を払って通う大学で、同級生が職員をやってお金を貰う、と言っていました。どこで差がついた‥‥‥ 凄く負けた気分です。
こんばんは。今日が何の日か分かる……?(めんどくさい恋人) 今日は三月十七日、すなわち、弊サイトの開設記念日です! おめでとうございます! 自分で言っちゃいます。しかも、おめでたいので、背景画像を一新してみました。やっぱりピンクの入っている方が可愛くて良いですね。良いよね! 四字熟語自体は以前と変わらず、です。お気に入りなので。
今年を振り返ると、院試やら卒論で忙しかったようにも思います。それでも、飽き性を抱えつつ、なんとか更新を続けられました。きっと、アクセスカウンターの微妙な動きに助けられた側面もあると思います。みなさんありがとうございます。今年も定期的にカウンターを回してやってくださいね。
書くことが思い浮かばないので、三日前のことでも書きましょう。三日前の三月十四日、髪を切りに行きました。133日ぶりなので、若干ずぼら、くらいの頻度ですね。前回に比べれば、はるかにマシと言えます。
わたし、髪を切ってもらいに行くのが嫌いなんですよね。予約時に生年を登録しているので、「大学生の何年生ですか?」の時点で、「あっ‥‥‥(察し)」みたいな空気を感じます。しかも、「ほー四年生、なら就職ですね? そうですよね?」という圧に耐えられません。「わたしは一浪して院進する親不孝者です」という欄を、アンケート用紙に設けて欲しいものです。もちろん解答任意で、ですよ。
突然話を変えて、今日が十七日ということは、そろそろ高槻やよいちゃんの誕生日でもありますね。昨年の誕生日には、大阪府高槻市が生誕イベントをやって、声優の仁後真耶子さんを召喚していました。今年もやるみたいですね。ただし、休日(日曜日)に合わせて、二十四日にパーティーするそうです。私はライブみたいなイベントには興味がありませんけど、無料で好きなキャラの声優が見られるのであれば、今年も出掛けてみようかな、と考えています。そのくらいですね。もっとソシャゲみたいに派手な周年祝いをできるよう、来年は頑張りたいです!
こんばんは。二日前から書こう書こうと思っていたのですけれど、夕飯お酒を飲んでしまって、思うようになりませんでした。なので、今日書きます。
二日前と言うのは他でもなく、私の学部卒業が確定した日付です。三月九日に合否発表があり、その翌日に成績通知書等が送付されました。卒論もゼミも最高評価で満足です。もっとも、院進学する人間ならば当然、抑えておきたい成績ですね。とはいえ、私は四年間累積のGPAがゴミカスです。四年前期時点で2.93でした。GPA導入以前に大学を卒業されたオジ様や高校生のために言えば、私立文系でGPA3.0を下回るのは、なかなかヤバいです。平均3.0に届かないということは、全体の平均が85点を切る位の感覚です。賢い人の集まる環境なら知りませんが、基本的に学習意欲の低い人間が集う弊学の様な共同体で、8割5分も取れないなら勉強が出来ないのだと言う他ありません。
そういう次第で、10月時点で院試には合格していましたけど、正直「この成績はなあ‥‥‥」という感覚がありました。せめて3.0は欲しかったわけです。ですが、卒論12単位と国文ゼミ4単位、哲学ゼミ4単位でAを獲得したおかげで、なんとか3.0ちょっとまで持上げることができました。これでも良い成績、とは言い難いですけど、まあ及第点かなと思います。そもそも、二年後期までに9科目17単位で落単したのが痛すぎました。四年間の総計修得単位が144単位ですから、17単位のF評価にはそれなりの影響力があります。一年後期の試験期間に妹がコロナに罹って、試験を受けられなかった上に一人の講師からメール無視された時点で気力が失せたと言うのもありますが、なによりGPAを馬鹿にしていたのが悪いです。大学生なら、退屈な講義は履修中止制度を活用して潜りましょう。それが、低すぎもしなければ高すぎもしない成績への第一歩だと思います。
今日は、もう一つ話題があります。というのも、めちゃくちゃ久し振りにエロゲというのを遊びました。「沙耶の唄」という有名タイトルです。エロゲに無関心でも、2(5)ちゃんねらー各位は聞いたこと位あるでしょう。まどか☆マギカで御馴染みの虚淵さんですね。
かくいう私もエロゲには疎いです。「CLANNAD」は人生らしいので除外すれば、「SHUFFLE!」しかやったことがありません。所謂「空鍋」とか「貧乳はステータスだ! 希少価値だ!」のやつですね。「SHUFFLE!」自体を未履修でも「らき☆すた」は必修なので間接的に見知っている人も多いでしょう。芙蓉楓ちゃんのような、負け(アニメでもコミック版でも負けます。続編である「Really? Really!」では楓ちゃんがフィーチャーされるらしいですが、六年くらい積んでいるので知りません)幼馴染ヒロインは可愛いのです。
つまり、高校生の頃にリアリアを買って以降、エロゲをやっていないことになります。ぶっちゃけ、PCでちょっとずつ文字を読むのが疲れるのでノベルゲームのシステムが苦手気味なのですけど、しかしPS3でアイマスを寝転がりながら遊ぶのは楽しいので、短編なら完遂できるだろうとプレイしてみました。
二日がかりで全√読んだところ、かなり面白かったです。ただ、グロ描写が想像以上にキツくて気持ち悪くなっちゃいました。私は「初カキコ…ども…」よろしく中高生の頃はグロ動画とか漁っていたので、人間が肉になる系は割と平気なんですけど、気持ち悪い異生物には何故か全く耐性がありません。虫とか蓮コラが無理な性質の延長かもしれません。そういうわけで、夜中に寒い部屋でビール飲みながら「沙耶の唄」やってたら一回ゲロ吐きました。そのくらい、グロいと言うより気持ち悪いです。
これだけ書くとグロばっかで面白くなさそうですが、話もオタクが好きそうな感じで面白いです。言うまでもなく、オタクが好きそう、と言うのは私が好きだという意味です。人間より高度な生命体が人間を侵略する物語は、気分を晴らしてくれます。人間のくせに人間が嫌いな私たちにピッタリです。
そんな感じです。書いていて、ただの日記ばかり読まされても詰まらないだろうな、と思いました。ブログみたいな、タイトル付きの文章を載せる箇所が必要なのかもしれません。htmlみたいで嫌ですが(いやまあhtmlなんですけど)「ARTICLE」ページとか新設しようかな、と考えてしまいます。
書きます。長期休暇なので。
今日は幸せな夢を見ました。夢の中で私は、目指したこともないのに、小学校の教員になっていました。生徒の学年は覚えていませんが、恐らく低学年だったのでしょう。「総合」の時間を使って、彼らに葉書の書式を教えていました。宛名がどうの、郵便番号がこうの、というやつです。私もそんな教育を受けた気がします。今になって思えば、葉書より、大きな封筒の書式を教えて欲しかったですね。そうして、生徒同士に手紙を書かせて、チャイムと同時に私が回収しました。その後、放課後までに、宛名に書かれた生徒の下駄箱へ手紙を配達しました。下駄箱に集まる生徒たちが次々に、喜びと不思議の声を上げていました。そうした声の中には、誰々先生が下駄箱に手紙を入れる瞬間を見た、とか、昼休憩に怪しい人影を見た、と言うのもあります。子供の間に拡がるデマってのはこんな風に仕上がっていくのかな、と微笑ましく眺めていると、目が覚めました。起きてみると嫌な動機が走っています。あんなに幸せな時間を過ごしていたはずなのに、と思った直後、子供時代の豊かな幸福を思い返すことは、大人にとって不幸なのだな、と妙に納得してしまいました。
夜になって、アルバイト迄の時間、家族とテレビを見ました。「ミラクルナイン」という、九対九のチームに分かれて、クイズをやる番組です。各チームにはテーマがあるらしく、一方は昭和生まれ、残りが平成生まれ、といった趣です。平成生まれも元年なら三十五、六歳ですから、別段若くもありませんけれども、熟年と若年との間にある常識の差異が主題であったのだと思います。その若年側に、二十三歳のゴルフ選手がいました。他には鈴木福も出ていたので、二十三歳なんてオバサンじゃないか、と感じました。しかし、考えてみると、彼女は私と同い年です。私にとっては、自分が「若」の側に属することなど考えられませんが、世間にはそう思われていないのかもしれません。そんなことを思うと同時に、同じ年齢の人間が、世界に顔を向けて金銭を得る一方で、私は未だに学生身分で、しかも、それを延長しようとさえしている。この状態が切なく感じもしました。一般的に見て、大学生にもなれば、勉強など趣味の範疇に属するのだろうと思います。なんだか自分が空しくなります。今は不幸な気分です。
また一か月も空いてしまいましたね。Twitterを止めればよいと思います。無駄口を叩くほどに心は話す気を失うようですから。
今日なにか書いておこうと思ったのは、口頭試問を終了したからです。口頭試問とは、何人かの先生が、学生の書いた卒業論文を読んで、いわゆる「素人質問」を飛ばして来る行事ですね。卒業論文を完成させて浮かれている学生が、学生生活(最短)四年間で最も怯える学期末です。
私の学校では、主査(指導教員)と副査と、二人の先生が試問を担当してくださいます。大抵の場合、副査には主査と専攻が異なる先生が抜擢されるようですけれども、私の場合は、両方とも近現代の先生でした。こうなると、副査からも込み入った問を投げ掛けられ易いようです。時間をかけて書いた卒論が試問のせいで「不可」となれば、いくら霧のように薄くて軽い時間でも浮かばれませんから、それなりの準備をして挑まざるを得ないことになります。
しかも、副査の先生は新任で、私は面識がありませんでした。ただし、学内学会の記事で、一度だけ彼の写真を見たことがあります。その印象によれば、彼の目は、彼の鋭利な性格を明示していました。配慮なく間違いを間違いだと審判するような、話して恐ろしい人間だと認識しました。そんな先生に難しいことを聞かれるかと思うと、非常に嫌な気分でした。なので、色々と厭らしい質問を叩き返すべく、随所の悪文について武装をしていたのですが、蓋を開ければ、何ということもない。まったく優しい真摯な先生で、喜ぶよりも拍子抜けがしました。用意が無駄だっとは思いませんが、指導教員の脅しに乗せられて、震え切っていたのが馬鹿馬鹿しい気分です。恐怖がなければ、もっと上手く話せた気もします。主査の面白いところです。そんなだから、学生から「恐い」と言われるんですよ。
試問で頂いた指摘のいちいちを書くような真似はしませんが、今後の研究指針にたいする助言まで受け取って、嬉しい限りです。主査も副査も大同小異の助言内容でしたけれども、それだけに好い参考になりました。有難いことです。学費が安ければ、ここで指導を受けていたろうと、彼等の学識の豊かさを実感するとともに、体験授業の直観に従って良かったと改めて思うことができました。あまり先生を褒めるのは、私の主義に反するので、この位にしておきましょう。
それはそうと、口頭試問を受けるということは、残りの学生期間を、合否判定待機時間に変換する作業でもあります。つまり、私も大学を卒業する時期に至ったのです。もう、あの学校へ行く義務は私に課されておりません。過去の自分に課された義務に従って生きるのが私の人生方針なので、これは恐ろしい気がします。そんなことは以前にも書きましたね。放課後ティータイムは「卒業は終わりじゃない、これからも仲間だから」と言いますけれど、私には仲間も後輩も無いので、卒業は終わりになります。あの学校自体に帰属意識は向いていないように自己分析していますが、すなわち、あれを素朴に「私の学校だ」と言う気には、とうとうなりませんけれども、それにしても、なんだか率直に寂しいので、学校の運営する学会には、しばらく所属しておこうと思います。お金さえ払えば良いそうなので‥‥‥