03, April, 2024

 昨日、入学式が開催されまして、今日は、新しい学校でガイダンスを受けてきました。環境の変化にてんてこ舞いです。第一、どの名前の校舎がどこに位置するのか、これさえ不明瞭です。元の学校は狭さが楽でしたけど、こっちでは脚まで疲れるようです。
 ガイダンスの後、ちょっとした懇親会がありました。暇を用意できた先生方数人やら、院生やら、学部生やらが集まって、自己紹介などする場です。言うまでもなく、私はこういう場が大嫌いです。気を遣うのも遣われるのも、自分の過去を説明するのも他人の話を聞くのも、全部々々面倒臭いんですよ。なので、辞めにして帰ってやろうかと思いました。けど、演習の授業なんかで「なんか他大から来たくせに懇親会に来なかった奴の発表だ……w」とか思われると癪なので、とにかく出席しました。
 そこには、私と同様に他大から来た人間もいました。しかも、彼は私と同じ年に、同じ大学で学部を終えていました。こんなこともあるのですね。全く面識の無い人間でしたが、不思議なことです。とはいえ話してみると、私の嫌いな性質を凡そ持っているんじゃないかと疑われるような、不愉快な人間でした。まあ、私の気に入る人間という概念は、実質的に非存在者の名なのですけどね。誰を見ても嫌いだと言っている気さえします。しかも、彼にも話し相手が不在であったらしく、幾度か絡まれて、嫌な気分でした。
 近頃、何もかもが面倒臭いです。どんな廉で産み落とされたのでしょうね。実に嫌な感じがするので、ウットとかいう睡眠導入剤(?)を飲んで寝ようかと思います。こう書いてから、箱を見ると空でした。薬局へ行くより、ヨドバシカメラでネット注文した方が安いです(ここ、お役立ちブログ)。

27, March, 2024

 ぐーてんもるげん! 別にキルミーベイベーを見た訳ではありません。
 今日はアルバイト最終日でした。大学院進学を機に辞めることにしたんですよ。学部入学の時期から始めたアルバイトであったので、四年間ほど勤めたことになります。そう考えると長いですね。道理で、初期に見た構成員を見失う訳です。しかも、四年間も働いていながら、あまり感慨も湧かないようです。詰まらないバイトでしたからね。浮ついた時間を、少し換金していた迄の事です。家からは少し遠いので、もう二度と入店しないかもしれませんね。私が寂しがらないのと同程度に、私を寂しがる人間も、あそこには存在しません。そう考えると心細いですね。
 心配なのは、長期休暇の曜日感覚がバグる事です。月曜・水曜の固定シフトでしたから、その意味では有意義でした。しかし、こうして退職を喜んでいられるのも僅かな期間に限られます。図書やアニメグッズの代金が必要ですから、何か稼ぎ口を見付けなければなりません。塾講師などが良いかと思っていますが、学士如きに教わることなどあるのか、疑問です。まあ、未来の私が良いように都合しましょう。
 そういえば、三日前の24日、自治体主催の高槻やよいちゃん誕生日会に行ってきました。今年も仁後真耶子さんが来てくれて、雨風にもかかわらず、会場は賑わっていましたよ。風のせいで花粉が飛んで、仁後さんはガラガラ声でした。喉に来るタイプの花粉症なんですかね。仁後さん曰、滅多に生じない事態であったらしいので、珍しいものが見られた、と高評価しておきましょう。その方が幸せです。
 会場には、高槻やよいラッピングの阪急バスやら、高槻やよいの等身大アクリルスタンドやら、仁後さんのサインまで展示がありました。気合が違いますね。来年も頑張って欲しいので、高槻市には無縁ですけど、五千円くらい御布施しておきました。やよいちゃん可愛いからね。ちなみに、25日に高槻のやよい軒に行こうかと思いましたけど、寒い雨で布団から出られず断念しました。引きこもりには、二日連続で雨の中を出歩く勇気など備わっていません。
 ζ*'ヮ')ζ<うっうー!

20, March, 2024

 やほー。micheriaです。
 今日は大学の卒業式に参加してきました。私もとうとう卒業ですよ!卒業! 私も晴れて、学士(国文学)になりました。何事もなく四年間で卒業することができて良かったですね。親に経済力さえあれば、高校中退する程度に無能で社会不適合者でも学士を貰える時代ですよ。馬鹿げている気もしますが、親に経済力があっても学位を貰えなかった時代よりは良くなっているのでしょうかね。そもそも学位なんて要るのか? とか難しいことは分かりません。とにかく一安心です。
 卒業式は、通っていた大学の付属校にあたる(?)女子大にて開かれました。そっちの校舎にはホールがあるのですよ。まあ、それも弊学キャンパスの真横に位置しているので移動は然程、苦になりません。式は、讃美歌やら聖書音読やら学長の御話やらと、入学式の焼き直しみたいな展開でした。キリスト教の学校では、ありがちな構成でしょう。今の学長は文学博士なので、新美南吉「でんでんむしのかなしみ」の話などしていました。戦前の童話など、私にはよく分かりません。学長の直後に聞かされた総長の御話は、しつこい位の創立者ageで面白かったです。創立者は素晴らしい人格者で、まさに目指すべき人物だ! みたいなことを延々と述べ立てます。弊学では見飽きる程に御馴染みの光景なので、最後の最後にも観測できて笑いそうになりました。あと誰かが、めちゃくちゃ雨が降っていたのに「このようなハレの日に‥‥‥」と言っていたのも面白ポイントでした。私は低俗なんです。
 式を終えて、学位記や成績証明書など受け取った後、最後に思い出深い喫煙所でも行っておくか、と考えました。そこで、わざわざ生協(祝日にも拘わらず開店していた)で398円の傘を購入しまして、通いなれた道をフラフラ歩いていたのです。すると追い風が、私を送り出すように吹きました。四年間、良くも悪しくも変化してきた私の頭を、自然は変わらずに包み眺めていたのでしょうか。自然も新古も入り混じった京都という土地は、人間的世界の反映です。そうした空間の認識は、私を矮小化し、かつ、拡大します。だから、まるで世界と合一したかの気分になれそうな、気がしました。しかし、好意的な自然の振舞に趣を感じる間もなく、傘を持っていかれて、バキバキに壊されてしまいました。強めの雨が卸したてのスーツをびしょびしょにします。どうやら京都の風は、私を送り出すのではなく、追い出すつもりであった様子に見えます。まったく陰湿で不愉快な土地です。ここまで無駄な400円は人生で初めてかも知れません。本気で生協にクレームを入れに行こうかと思いましたよ。
 最近の更新はお祝い事が続いてすみません。お前らは俺の鏡なので、おそらく性格が終わっていて、他人の慶事が嫌いだろうと思います。二次元美少女ならいざ知らず、喜んでいるだけの人間なんて見ても下らないと思います。実際、私も同級生と話して、彼等の輝かしい今後の展望を聞き、不愉快でもなければ面白くもない、最悪の気分になりました。私は大学院に進学しますけど、彼等の大部分は就職して行きます。自分の能や時間を換金して、生活を立てるわけです。なんだか恐ろしくなります。もちろん私も、職業から逃げて進学する心を決めたのではありません。しかし世間は、いやむしろ私が、黄白万能主義に傾いて、壮年者が金を稼がないのは悪だと言います。どうせ近々、その通りにしなければ立ち行かなくなるのですから、今は放っておけという気持です。自分に向かって言い訳をして、甲斐の無い話です。解脱を試みることにしましょう。

〈追記〉ゼミの飲み会に参加したら、私が来年度からお金を払って通う大学で、同級生が職員をやってお金を貰う、と言っていました。どこで差がついた‥‥‥ 凄く負けた気分です。

17, March, 2024

 こんばんは。今日が何の日か分かる……?(めんどくさい恋人) 今日は三月十七日、すなわち、弊サイトの開設記念日です! おめでとうございます! 自分で言っちゃいます。しかも、おめでたいので、背景画像を一新してみました。やっぱりピンクの入っている方が可愛くて良いですね。良いよね! 四字熟語自体は以前と変わらず、です。お気に入りなので。
 今年を振り返ると、院試やら卒論で忙しかったようにも思います。それでも、飽き性を抱えつつ、なんとか更新を続けられました。きっと、アクセスカウンターの微妙な動きに助けられた側面もあると思います。みなさんありがとうございます。今年も定期的にカウンターを回してやってくださいね。
 書くことが思い浮かばないので、三日前のことでも書きましょう。三日前の三月十四日、髪を切りに行きました。133日ぶりなので、若干ずぼら、くらいの頻度ですね。前回に比べれば、はるかにマシと言えます。
 わたし、髪を切ってもらいに行くのが嫌いなんですよね。予約時に生年を登録しているので、「大学生の何年生ですか?」の時点で、「あっ‥‥‥(察し)」みたいな空気を感じます。しかも、「ほー四年生、なら就職ですね? そうですよね?」という圧に耐えられません。「わたしは一浪して院進する親不孝者です」という欄を、アンケート用紙に設けて欲しいものです。もちろん解答任意で、ですよ。
 突然話を変えて、今日が十七日ということは、そろそろ高槻やよいちゃんの誕生日でもありますね。昨年の誕生日には、大阪府高槻市が生誕イベントをやって、声優の仁後真耶子さんを召喚していました。今年もやるみたいですね。ただし、休日(日曜日)に合わせて、二十四日にパーティーするそうです。私はライブみたいなイベントには興味がありませんけど、無料で好きなキャラの声優が見られるのであれば、今年も出掛けてみようかな、と考えています。そのくらいですね。もっとソシャゲみたいに派手な周年祝いをできるよう、来年は頑張りたいです!

11, March, 2024

 こんばんは。二日前から書こう書こうと思っていたのですけれど、夕飯お酒を飲んでしまって、思うようになりませんでした。なので、今日書きます。
 二日前と言うのは他でもなく、私の学部卒業が確定した日付です。三月九日に合否発表があり、その翌日に成績通知書等が送付されました。卒論もゼミも最高評価で満足です。もっとも、院進学する人間ならば当然、抑えておきたい成績ですね。とはいえ、私は四年間累積のGPAがゴミカスです。四年前期時点で2.93でした。GPA導入以前に大学を卒業されたオジ様や高校生のために言えば、私立文系でGPA3.0を下回るのは、なかなかヤバいです。平均3.0に届かないということは、全体の平均が85点を切る位の感覚です。賢い人の集まる環境なら知りませんが、基本的に学習意欲の低い人間が集う弊学の様な共同体で、8割5分も取れないなら勉強が出来ないのだと言う他ありません。
 そういう次第で、10月時点で院試には合格していましたけど、正直「この成績はなあ‥‥‥」という感覚がありました。せめて3.0は欲しかったわけです。ですが、卒論12単位と国文ゼミ4単位、哲学ゼミ4単位でAを獲得したおかげで、なんとか3.0ちょっとまで持上げることができました。これでも良い成績、とは言い難いですけど、まあ及第点かなと思います。そもそも、二年後期までに9科目17単位で落単したのが痛すぎました。四年間の総計修得単位が144単位ですから、17単位のF評価にはそれなりの影響力があります。一年後期の試験期間に妹がコロナに罹って、試験を受けられなかった上に一人の講師からメール無視された時点で気力が失せたと言うのもありますが、なによりGPAを馬鹿にしていたのが悪いです。大学生なら、退屈な講義は履修中止制度を活用して潜りましょう。それが、低すぎもしなければ高すぎもしない成績への第一歩だと思います。
 今日は、もう一つ話題があります。というのも、めちゃくちゃ久し振りにエロゲというのを遊びました。「沙耶の唄」という有名タイトルです。エロゲに無関心でも、2(5)ちゃんねらー各位は聞いたこと位あるでしょう。まどか☆マギカで御馴染みの虚淵さんですね。
 かくいう私もエロゲには疎いです。「CLANNAD」は人生らしいので除外すれば、「SHUFFLE!」しかやったことがありません。所謂「空鍋」とか「貧乳はステータスだ! 希少価値だ!」のやつですね。「SHUFFLE!」自体を未履修でも「らき☆すた」は必修なので間接的に見知っている人も多いでしょう。芙蓉楓ちゃんのような、負け(アニメでもコミック版でも負けます。続編である「Really? Really!」では楓ちゃんがフィーチャーされるらしいですが、六年くらい積んでいるので知りません)幼馴染ヒロインは可愛いのです。
 つまり、高校生の頃にリアリアを買って以降、エロゲをやっていないことになります。ぶっちゃけ、PCでちょっとずつ文字を読むのが疲れるのでノベルゲームのシステムが苦手気味なのですけど、しかしPS3でアイマスを寝転がりながら遊ぶのは楽しいので、短編なら完遂できるだろうとプレイしてみました。
 二日がかりで全√読んだところ、かなり面白かったです。ただ、グロ描写が想像以上にキツくて気持ち悪くなっちゃいました。私は「初カキコ…ども…」よろしく中高生の頃はグロ動画とか漁っていたので、人間が肉になる系は割と平気なんですけど、気持ち悪い異生物には何故か全く耐性がありません。虫とか蓮コラが無理な性質の延長かもしれません。そういうわけで、夜中に寒い部屋でビール飲みながら「沙耶の唄」やってたら一回ゲロ吐きました。そのくらい、グロいと言うより気持ち悪いです。
 これだけ書くとグロばっかで面白くなさそうですが、話もオタクが好きそうな感じで面白いです。言うまでもなく、オタクが好きそう、と言うのは私が好きだという意味です。人間より高度な生命体が人間を侵略する物語は、気分を晴らしてくれます。人間のくせに人間が嫌いな私たちにピッタリです。
 そんな感じです。書いていて、ただの日記ばかり読まされても詰まらないだろうな、と思いました。ブログみたいな、タイトル付きの文章を載せる箇所が必要なのかもしれません。htmlみたいで嫌ですが(いやまあhtmlなんですけど)「ARTICLE」ページとか新設しようかな、と考えてしまいます。

07, February, 2024

 書きます。長期休暇なので。
 今日は幸せな夢を見ました。夢の中で私は、目指したこともないのに、小学校の教員になっていました。生徒の学年は覚えていませんが、恐らく低学年だったのでしょう。「総合」の時間を使って、彼らに葉書の書式を教えていました。宛名がどうの、郵便番号がこうの、というやつです。私もそんな教育を受けた気がします。今になって思えば、葉書より、大きな封筒の書式を教えて欲しかったですね。そうして、生徒同士に手紙を書かせて、チャイムと同時に私が回収しました。その後、放課後までに、宛名に書かれた生徒の下駄箱へ手紙を配達しました。下駄箱に集まる生徒たちが次々に、喜びと不思議の声を上げていました。そうした声の中には、誰々先生が下駄箱に手紙を入れる瞬間を見た、とか、昼休憩に怪しい人影を見た、と言うのもあります。子供の間に拡がるデマってのはこんな風に仕上がっていくのかな、と微笑ましく眺めていると、目が覚めました。起きてみると嫌な動機が走っています。あんなに幸せな時間を過ごしていたはずなのに、と思った直後、子供時代の豊かな幸福を思い返すことは、大人にとって不幸なのだな、と妙に納得してしまいました。
 夜になって、アルバイト迄の時間、家族とテレビを見ました。「ミラクルナイン」という、九対九のチームに分かれて、クイズをやる番組です。各チームにはテーマがあるらしく、一方は昭和生まれ、残りが平成生まれ、といった趣です。平成生まれも元年なら三十五、六歳ですから、別段若くもありませんけれども、熟年と若年との間にある常識の差異が主題であったのだと思います。その若年側に、二十三歳のゴルフ選手がいました。他には鈴木福も出ていたので、二十三歳なんてオバサンじゃないか、と感じました。しかし、考えてみると、彼女は私と同い年です。私にとっては、自分が「若」の側に属することなど考えられませんが、世間にはそう思われていないのかもしれません。そんなことを思うと同時に、同じ年齢の人間が、世界に顔を向けて金銭を得る一方で、私は未だに学生身分で、しかも、それを延長しようとさえしている。この状態が切なく感じもしました。一般的に見て、大学生にもなれば、勉強など趣味の範疇に属するのだろうと思います。なんだか自分が空しくなります。今は不幸な気分です。

30, January, 2024

 また一か月も空いてしまいましたね。Twitterを止めればよいと思います。無駄口を叩くほどに心は話す気を失うようですから。
 今日なにか書いておこうと思ったのは、口頭試問を終了したからです。口頭試問とは、何人かの先生が、学生の書いた卒業論文を読んで、いわゆる「素人質問」を飛ばして来る行事ですね。卒業論文を完成させて浮かれている学生が、学生生活(最短)四年間で最も怯える学期末です。
 私の学校では、主査(指導教員)と副査と、二人の先生が試問を担当してくださいます。大抵の場合、副査には主査と専攻が異なる先生が抜擢されるようですけれども、私の場合は、両方とも近現代の先生でした。こうなると、副査からも込み入った問を投げ掛けられ易いようです。時間をかけて書いた卒論が試問のせいで「不可」となれば、いくら霧のように薄くて軽い時間でも浮かばれませんから、それなりの準備をして挑まざるを得ないことになります。
 しかも、副査の先生は新任で、私は面識がありませんでした。ただし、学内学会の記事で、一度だけ彼の写真を見たことがあります。その印象によれば、彼の目は、彼の鋭利な性格を明示していました。配慮なく間違いを間違いだと審判するような、話して恐ろしい人間だと認識しました。そんな先生に難しいことを聞かれるかと思うと、非常に嫌な気分でした。なので、色々と厭らしい質問を叩き返すべく、随所の悪文について武装をしていたのですが、蓋を開ければ、何ということもない。まったく優しい真摯な先生で、喜ぶよりも拍子抜けがしました。用意が無駄だっとは思いませんが、指導教員の脅しに乗せられて、震え切っていたのが馬鹿馬鹿しい気分です。恐怖がなければ、もっと上手く話せた気もします。主査の面白いところです。そんなだから、学生から「恐い」と言われるんですよ。
 試問で頂いた指摘のいちいちを書くような真似はしませんが、今後の研究指針にたいする助言まで受け取って、嬉しい限りです。主査も副査も大同小異の助言内容でしたけれども、それだけに好い参考になりました。有難いことです。学費が安ければ、ここで指導を受けていたろうと、彼等の学識の豊かさを実感するとともに、体験授業の直観に従って良かったと改めて思うことができました。あまり先生を褒めるのは、私の主義に反するので、この位にしておきましょう。
 それはそうと、口頭試問を受けるということは、残りの学生期間を、合否判定待機時間に変換する作業でもあります。つまり、私も大学を卒業する時期に至ったのです。もう、あの学校へ行く義務は私に課されておりません。過去の自分に課された義務に従って生きるのが私の人生方針なので、これは恐ろしい気がします。そんなことは以前にも書きましたね。放課後ティータイムは「卒業は終わりじゃない、これからも仲間だから」と言いますけれど、私には仲間も後輩も無いので、卒業は終わりになります。あの学校自体に帰属意識は向いていないように自己分析していますが、すなわち、あれを素朴に「私の学校だ」と言う気には、とうとうなりませんけれども、それにしても、なんだか率直に寂しいので、学校の運営する学会には、しばらく所属しておこうと思います。お金さえ払えば良いそうなので‥‥‥

28, December, 2023

 二日連続更新ですよ!二日連続更新! 二日目なので(ここの読者の内でアイマスを知らない人間は想定されないけれども)参考文献にリンクとかしちゃいます。勘を取り戻してきたな。
 最近はどこへ行っても、年の瀬という感じが強く押し出されていますね。我々は時間を区切って逐一に名前を与え、その名前のために一喜一憂する通例を持っています。こう書くと批判染みますが、まだ別にそんな意図はありません。我々は所詮、終わりに向かって有限な時間を消費しつつある存在でしかないため、何でも楽しいことが多いに越したことはないと思います。軽薄に浮ついて生きるべきです。こうした考え方を指針にする人は、当然、死ぬ間際で不幸感に囚われる位なら、薬物による多幸感を得るべきだと考えるのでしょう。どうせ健康に気を遣ってもすぐに死ぬのなら、不合理に浮つくべきだからです。私はそう思わないので、よく分からない浮ついた気持ちが嫌ですし、それゆえ大晦日とかクリスマスで喜ぶのにも違和感があります。もちろんそれなら、昨日喜んでいた誕生日も馬鹿げているように感じられなければなりません。しかし、キャラの絵が多く投稿されたり、新規音声が公開されたりするので、私に嬉しい日になるわけです。知人友人の誕生日は簡単に説明できるので、ここには触れません。そのように考えると、キリスト教徒なら、クリスマスも同じ様な日なのかもしれませんね。日本にキリスト教は浸透していませんけれども。それなら大晦日は? やはり馬鹿馬鹿しいようです。
 イベント事に喜んで参加する彼等は、自分の信念が社会的に肯定される状態を好んでいるようです。つまり、自分の信じる何かが有意義だ、という認識を多くの人間で共有することによって、その何かが有価値だという価値観を補強したいのだそうです。納得感がありますね。これは「存在脅威管理理論」などと仰々しく翻訳される社会心理学の一説です(グリーンバーグとかいう人の論文もネットで読めますが、URLを紛失したため、脇本竜太郎さんの紹介文でも貼っておきます)。その理論では、こうした共有に対する欲求の根底に死への恐怖感が据えられています。有限な我々は死ぬのが恐ろしい。だが、ある価値の体系が死後の生を保証してくれるから、この体系を信じたくなる。その価値体系を信じるに足るものであると認めるために、その体系を信じる仲間と共に価値観を認め合いたいわけですね。私の拙い要約を読むより、ぐぐった方が速いでしょう。
 ともかく、こうした見方によって、粗方の社会的な現象は説明されそうです。説明されれば、それが当然の事態であるように思えます(私は愚かな逆張りマンなので、それと反対の主張をしやすくなります)。当然ならば仕方がないと思えてしまうのですね。こういう心境は、インターネット上にも散見されます。たとえば、心理学的に「異性の前では声が大きくなる」と知って、町で喧しい男女混淆集団を許せるようになった、というツイートを見た記憶があります。こんな例はバズを探せばいくらでも出てきそうです。そうであるならば、世の中に存在する不服の種が全て説明されれば、それは皆にとって仕方ない事象となって、我々の苛立ちを解消してくれる気がします。玉から手を離して、それが落ちたと怒る人もないでしょう。ですが、仕方ない状況に対する諦めの感情は、それはそれで危険であるように思います。仕方ない、当然だ、の気持ちで全事象を眺めれば、それこそ我々にとって価値など存在しないことになるからです。この危険に我々が陥りやすいのは、合理的な説明を偏重する価値観を、人々が内面化しているからに他なりません。合理的な説明が素晴らしいと心の底で思うから、合理的に説明されれば、それは動かしようのない事情だ、と信じるに至るのですね。思想としての科学に依存した文明に身を置く、現代人の必然なのかもしれません。
 コメントを頂いた嬉しさに身を任せたら、長々と面倒なことまで書いてしまいました。反応があると書きたくなりますねえ(コメント催促)。

27, December, 2023

 ハローワールド。ごきげんよう。27日は丸山彩ちゃんのお誕生日です! 「ぎゅっDAYS♪」を聴いてください。
 今月の22日に卒論を提出して、一月後の口頭試問を残すのみとなりました。あらゆる義務から解放された気分です。しかし、この解放が不安でもありますね。束縛は指針でもありますから、その軌道に乗ってぼんやり人生を使うのが楽なわけです。こんなことを考えると、本当に自分は、どんな状況にあっても不満ばかりだと嫌気がさします。
 院に行ったら卒論をどこかの雑誌に載せてもらうと良い、と先生が仰るので、残念ながらここに公開はできません。する気だったのか? 卒業確定後なら良い気もしたのですけども。まあ学部の卒業論文なんて、雑誌論文に比べて長いわりに詰まらないものですから、載せたところでPVも増えないでしょう。というか、PVを増やしたいなら、もっと更新頻度を上げた方が良いと思います。そもそも、この見難いデザインでPVを気にしているのか?
 ただ現状、近代文学の卒論の書き方って調べてもよく分からないんですよね。何冊かそういった書籍の存在は確認しましたけど、実践的で網羅的かつ初学者にも理解が易しいものは見出せませんでした。つまり、大学的な文学の入門というのは、その位置すら知られていないように見えます。たとえば、少し文学を齧った人は、文学の勉強と言えば「文学理論」を想起するでしょう。ですが、今の大学で理論にばかり依拠して論を提唱しても、今更の感があるのです。心理学的にどうとか、社会学的にどうとか、そういうことを言っても「そうかもね」となるに過ぎない様子です。それでは何をすれば良いのか、という問題になります。だが、これがややこしい。一言で私の四年間の活動を説明しろ、と言われても上手く言葉が見つかりません。それでも敢えて何か書くなら「作品をどう読めるのか」という問を避けられないのが文学なのだと思います。それを理屈で説明するために文学理論なんかが必要なわけですね。「どう読めるのか」が分かれば、「どう読まれたか」とか「なぜそう書かれたか」とか、色々な関連事実や疑問が出て来ます。文学は、これらを解いて行くことで、作品の価値を問い直したり補強したりします。それが誰の役に立つのかは、よく分かりません。合理性に基づく科学的な仕事だとは思いますけど、自然科学ほど分かり易い利益が生れるのでもないようです。ただし、科学的な思考の鍛錬であることには違いないのですが、文学部=四年間の暇ってイメージは、社会に蔓延っているように思います。これを覆すためにも(私自身は覆す必要も感じませんけど)、まずは文学が他学部と変わらない合理性のトレーニングだという認識を人々に植え付けなければならないでしょう。そのために、分かり易い入門が必要だと考えました。啓蒙家みたいで嫌ですね。蒙はどっちでしょう。
 何にせよ、卒業論文の書き方、みたいなことを書いたら自分の勉強にもなって面白そうだと思いました。

02, November, 2023

 セプテンバーー!!
 いよいよ卒論提出二ヶ月前ということで、それなりに気合が入っています。良いことです。ちょっと勉強を頑張ってみると、帰りの電車内などで、将来の事が不安に感じられます。学校へ残れるのか、教師になるのか、民間へ出るのか。いずれにせよ、勉強しないで学部卒で就職した方が生涯所得は良さそうですけれども、今迄の人生で食い扶持のために着手した事業を完遂できた例がありません。食わずに生きる道がないかしら。
 色々悩んでいると、時々、自分の認知上の歪みたいなものを発見します。きっと皆様もそうでしょう。私の場合、他人の成功を彼の努力に、他人の失敗を彼の置かれた環境に、それぞれ帰する習慣を持っているようです。ところが、自分の成功や失敗になると、それらが逆転し勝ちです。割合、万人にも共通する習わしではないかと考えます。しかしこの視座から世間を眺めると、他人を崇めて自尊心が弱りますから、嘘でも自分を他人と思って扱いたいものです。現在の私を、というのが無理でも、過去の私くらいは別人格と思いたいですね。そっちのほうが正しいでしょうし、何より楽な気分です。
 今日は、2022年6月22日以来、すなわち、498日ぶりに散髪をしました。非常に長く、しかも痛んでいたので、引っ掛かりが取れて良いようです。これで社会にも顔向けができます。洗髪も気軽になりました。髪型の是非はどうか知りませんが、批評を受けるでもなし気にしません。ただ、散髪屋というものは、髪を切って洗って乾かすだけで一時間も掛ける所が気に入りません。どうにか急いで欲しいものです。とはいえ、安い速いがウリの床屋には嫌な思い出があるので、二度と行きたくありません。髪が手足の様に、伸びず抜けずの部位になれば嬉しいです。そうなれば、手足の無い様にハゲも障碍者になって、ハゲ治療に医療保険が出て、なんだか愉快な世の中になりそうです。
 そんな位です。最近は明治時代のオカルトについて勉強しています。怪談など好きでもありませんが、神秘的な方面になると心が澄むようです。そのために色々読む必要ができる訳になります。しかしまあ、「こっくりさん」やら「千里眼」やら「催眠術」やら、そんなものが真面目に信仰された時代は、今に思えば牧歌的でさえあります。近代日本に持ち込まれた諸概念は、一面では、世の中を不愉快にしているのかも知れません。そうは言っても、科学のおかげでパソコンやインターネットが完成して、そのおかげでこんな場所も建造できるのですから、悪い所ばかりでもないです。そればかりか、気楽に幽霊など信じるのは、考えてみれば嫌な感じもします。そんな世界は、理性の意味もよく知られないまま理性的な思考が称賛される現代より、いっそう酷いだろうと思います。

11, October, 2023

 最近とても寒いですね。さっき半袖で原付バイクに乗ったら、手が震えてしまいました。寒いのは嫌ですね。寒いと朝も億劫だし、風呂上りが辛いし、皮膚が乾燥して痛くなります。夏の汗よりも、冬の満員電車でかく汗の方が不愉快に感じられるのは何故でしょう。服装だけは冬場の方が好ましいものの、気に入った服を着る楽しみなど、不快に比して弱々しいものです。風流人が季節毎の草花や風景を楽しみにして生きるのは、季節毎の辛さを忘れた病気のようなものでしょう。たしかに、自由にならないならば、せめて喜んで迎え入れるのが適切な生き方なのでしょう。とはいえ、私にそんな価値観は定着しそうにありませんし、受け容れるつもりも毛頭ありません。「枕草子」流に、冬は早朝の光景が良い、と切実に思えるのは、それ以外は最悪だ、と思っているからに他なりません。次の春も、日の出の他は極めて忌まわしいものです。特に、春の花粉を御免被りたいので、ずっと秋にすれば良いのに、と思います。
 そういえば昨日、大学内のコンビニで、シナモロールの一番くじが半額になっていました。一回四百円です。目ぼしい景品はすべて出払っており、アクリルスタンドやポーチしか残っていません。しかし、その数を見ると、僅か七回を残すばかりです。ラストワン賞のクッションは大変可愛らしい図柄で、魅力的に思えました。そして、二八〇〇円でシナモンのクッションと色々の景品が買えるなら良いかもしらん、と血迷い、まんまと購入してしまいました。持ち帰り方を考えておらず、大きな袋を二つ抱えた自習室や帰路の電車が不便ではありましたが、非常に可愛いので可とします。そうは言っても、貧乏学生に三〇〇〇円の出費は痛いので、二つ以上ある景品は、ヤフオクなどで売り飛ばしたいです。一つ当り二〇〇円ほど帰ってくれば、八〇〇円の節約となり、文庫本が二冊買えますから、かなり嬉しいです。誰か送料込三五〇円位で買ってくれないものか。まあ、貧乏なら一番くじなんか引くな、という観もあります。しかし貧乏人の貧乏人たる原因の一つは、そう言うお金の使い方にあるでしょう。判って是正できない私は真正の貧乏人です。被搾取の側から抜け出なければ。まあ、リンクを貼るために「シナモロール 一番くじ」と検索して、出てきた再来月の一番くじに魅力を感じてしまうような私には無理な話でしょう。サンリオで破産する。
 こういう話をしてみると、自分のお金の使い道が気になってきます。私は雑魚喫煙者なので、煙草代は月間三〇〇〇円ほどです。エナドリも好きで買いますが、毎日飲む訳でもなし、これも三〇〇〇円ほどです。それと、車の維持費を月に一万円づつ貯金しています。合わせると、毎月決まって使う金額は、一万六千円くらいになります。アルバイトの収入が月三万円程度ですから、少なくとも毎月一万円位は貯金できるはずです。ところが実際そうなっていないのは、今回のくじやら、色々の書籍やら、電化製品などの玩具やらに無駄遣をするからです。学生なので書籍は良いとしても、電化製品に至っては、たとえば先月勢いで買った電子煙草など、ほとんど使いもしません。なのに、アイコスもグローもプルームXも、全部持っています。何がしたいのか……。まあ、全部合わせても一万円程に過ぎませんし、娯楽品も多くないので、結局、本を買い過ぎなのだと思います。本を買うと置場に困り部屋まで汚くなるので悪いですが、読まなければ仕方がないので、やむを得ません。社会の構造上、勉強を含むすべての行動に資金が要るものなので、学生身分の内は諦める他ありませんね。

09, October, 2023

 Hello World.二週間くらいぶりですね。この数日は忙しくしていたので、書くことが沢山あります。
 まず、今月五日から九日にかけて、大分に住む母型の祖父母宅へ遊びに行きました。最後に顔を出したのは二〇一六年ですから、もう七年ぶりになります。以前と変わらず元気そうで安心しました。父親と弟とは用事がありましたので、私と母親と、二人だけで車に乗って行きました。大阪から大分まで、道のり七百キロメートル程ありますから、ラパン(軽自動車)で走るのは骨が折れました。片道九時間ほどかかって、アクセルを踏む脚さえ痛くなりましたが、地方の風景や田舎の人間は良い心遣りになりました。本も持っていきましたけど、もてなされている内、二三頁しか読まずに終えてしまいました。早く隠居して田舎に住みたいものです。虫がいない田舎へ。
 その間、六日には、大学院の合否発表がありました。私の受験した大学院では、学内掲示と郵送との二様でのみ、合否が発表されます。当日大阪にいない訳ですから、即座に報告を確認できず、弟からの知らせで合格を知りました。とりあえず、来年無職、という事にはならずに済みそうです。これを読んでいる方で、他大の院試を受ける方は、是非とも在籍校の院も受験しておくべきだと思います。いくら勉強しても不安感のストレスが強烈なので。私の場合、私大の学費を嫌って他大を探し始めたのだから、在籍校を受験する道理もありません。とはいえ、行く先がないかも知れない恐怖は酷いものです。とにかく、実家から通い得る国立大学に良い先生がいらしたのも、そこへ合格したのも、私には幸運でした。同志社は図書館も建て替えで不便になったので、その利点もあります。京大には漱石研究をしていた先生もいるので、気が向けばそこも後期で受ける心積りですが、時代は少し離れていても齋藤先生の論を気に入っているので、まあそっちへ行くだろうと思います。卒論も本格的に仕上げなければなりませんし。問題は修士卒業後ですね。博士後期にも行きたいですけど、それには自分の適性をよく考える必要もあるでしょう。文系ドクターは刺青ですから。
 進路が決まると、今度は卒業が心配になります。卒論は無論、良く書けていると感じていますし、指導教官も認めてくださっていますから、不可、ということにはならないでしょう。ただ、何かを卒業するのが久し振りで、漠然とした落ち着かなさがあります。この気分は、中学校の卒業式、ピアノの伴奏が鳴り始めた瞬間に似ています。私は中学校が好きでなく、友人も少なかったので、卒業を是としていましたが、あの瞬間だけは寂しいような心細いような気分になりました。何の曲だったかも覚えていませんが。この心持は、「BanG Dream!」でいきものがかり「YELL」の前奏を聞いた時にも生じました。あの前奏はそういうコード進行的な効果があるのかもしれません。あるいは、アニメの三年生が卒業するのが、自分の卒業と同じかそれ以上に寂しかったのかもしれません。私は音楽に明るくないので分かりませんけど、t4vちゃんも「BanG Dream!」内の「YELL」について「卒業式っぽくていいと思う」と仰せでしたから(そんな言質を取るみたいな真似は止めなさい)、「好きな曲1000曲」とかまでに解説してくれるのを気長に待ちましょう。
 そのくらいですかね。今日は眠気のせいか、悪い文章がいっそうガタついていますから、止めにして寝ようと思います。

27, September, 2023

 先日、久しぶりに更新したところ、ホームページへのやる気と愛情とが湧き出してきたので、今日も更新していきましょう。タイピングの練習にもなりますからね。お前のそれは逃げだよね?
 院試の結果はまだ出ません。知りたくもないですけれど、早く諦めて就活をすべきである気もします。抑鬱気分が思考の邪魔をしますから、どうしても研究はあまり進みません。本を読んでも、こんなことしてる場合なのか、と不安になってしまいます。甘ったれんな。などと自分に言ってみても、どうしようもありませんので、今日は授業の前に就職活動支援センターへ行ってみました。その存在を知ると同時に、個人相談は予約制だと聞き、たしか昨日(九月二十五日)予約を取った気がします。この数日、気分が低い水準で不安定に動くせいか、自分で考えたはずのことが、分からなくなりがちです。はいはい、辛いね。慰めが心遣りにならないと知りながら、辛い辛いと宣伝したくなるのは何故なのでしょうか。精神が未熟だからだと思いますよ。
 とにかく、予約確認のメールに従ってセンターへ行きました。センターでは、謎のおばさんから、やたらめったらに質問を投げ掛けられ、こんな風に自己分析してみなさいと申し付けられました。それと同時に、あれこれのwebサイトに出ている求人を探しつつ、エントリーシートとかいう謎の紙を書いて出願的なことをせよ、と仰せでした。今まで院進以外の進路について全く何も考えていなかったので、就活生や労働者に対する不確かな尊敬心が膨張すると共に、正直なところ、いやこれ無理だろ感が激烈です。なんだかんだで就職自体はどうかなりそうですけど、為そうという気力の泉源が見出せません。生きねばならない、とだけは思うので、生活のために糊口を探せ、と言い聞かせることにします。院試浪人とかも考えましたが、ただでさえ退学の影響で一年遅れているし、親にそこまでの経済力も見込めないし、そもそも御覧の通り心が弱すぎるので、無理だろうなと感じています。ところで、心は脳の機能らしいですね。ということは、脳が弱いのでしょう。人間にとって、最も悲しいことです。
 そういった不愉快な御話を拝聴の後、文学史系統の講義に出ました。知らない先生の講義で、低学年向らしい構成でした。低学年って大学生の形容にも使って良いですよね。講義の冒頭で『頭の体操』様の問題を出して学生の興味を惹く行為、初めて観測しましたけど、私は好きになれませんね。もちろん、基礎知識の運用をほとんど体験していない学生にとって、その蓄積期間は詰まらないのかも知れません。そうであれば、基礎知識自体に対して関心がなくとも、それを伝える講義という媒体を愛させることで、結果的に情報を植え付ける。このやり方も有益だと考えられます。とはいえ、少なくとも十八歳以上の成人をつかまえて、その方法で勉強させるのは、馬鹿げているとも思います。流石に喋るペンが無くとも勉強できましょう。今までに受講した中で面白かったと思えた講義は全て、導入でその分野の面白さを語っていた、と記憶しております。たとえば、私は二年生位まで国語学の表記に関する分野を軽視しておりましたけど、ある講義の初回で片仮名字体変遷を知ることの価値を説明され、飛び火して崩し字(こういうやつです)も勉強するようになりました。もっとも、漱石も書簡では崩し字を書きますが、私の知る限り公開時には翻刻されているので、ぶっちゃけ崩し字を読めたところで感はあります。また、そもそも私の崩し字勉強量は雑魚なので、物語であまり見ない漢字は読めません。しかしまあ、読める言葉の少ない方が良い、という場合は考え得る限り実在しないので、多少なりとも読めるに越したことは無いでしょう。プログラミングとかでも、色々な言語を使えた方が良いと聞きます、実態はよく知りませんけど。そういうわけで、そもそも私の勉強した限り文学史自体は面白いはずなので、そういう講義を形成すれば良いのにな、と思いました。
 「何しても不満」を謳っていながら全部の講義に不平を漏らさないのは矛盾なので、今日はこの辺で勘弁してやります。

24, September, 2023

 長く更新を怠りました。数えてみると八十六日ですから、もう三ヶ月ほどになります。七月中は卒論の準備もできていましたが、八月になると流石に院試が不安で、その勉強ばかりしておりました。わたしは無論、近現代文学専攻ですけれども、院試には国語学、古文、崩し字翻刻までも出ますから、復習やら何やらが大変でした。それも今月二十二日に終えて、後は結果を待つばかりになりました。結果は恐ろしいです。落ちたかなあという感じに囚われて、卒論にも集中できない有様です。就活も全くしていないので、落ちたら、もう自殺するしかないかなあと思っています。医学系の自殺症例経験レポートを調べて、再現できそうな方法ばかり模索してしまいます。そういう不健全なインターネットは当然止めるべきなので、不安の辛さを押し隠すためにも、更新をしていきましょう。
 この間の一大ニュースと言えば、やはり前島亜美さんの芸能界復帰でしょうか。声のないまま、丸山が高校を卒業してしまったのは、いささか不愉快でしたけれど、まあ最高の形で声が戻ったのではないでしょうか。心の奥では、前島声を早く忘れるためにも、急いで声を付けて欲しいと思っていましたが、この未来が想定されていたのかも知れませんね。軽率に人気キャラクター(丸山彩は作中最も人気なキャラクターである)の枠を埋めなかった運営の判断を支持したいと思います。早急な声の変更一般が軽率だと言いたいわけではありません。
 こんな具合で、夏季休暇をそれらしく享受することのできない身の上でした。ですから今年は、夏の思い出というものが、ほとんどありません。七月に一度、一人で山を登ったくらいのものでしょう。山を登ったと言っても、突発的に思いついて、二十分くらい山中を散歩しただけのことです。大学生活最後かもしれない夏をこんな形で終えて、秋が来てしまって、それでも不合格なら、もうどうにでもなれという気分です。何のやる気も出ようはずがありません。ね。
 今は田舎に行きたい気分です。田舎も田舎、大分にある母型の祖父母家へでも行ってしまいたいです。そこで気候の影響を歪めず感受しながら、緑に囲まれて、全集だけ読んでいたいです。働きもしない内から隠居願望とは……お前のそれは逃げだよね?
 逃げてえなあ。研究は楽しかったはずなので、そこにしがみ付きながら生きて行くしかありません。昔、精神科に通院していた頃の精神状況にある気がします。今は将来の不安が大きくなってしかるべき状況下に身を置いていますが、それを過ぎればこの鬱々した感じが晴れるのでしょうか。そんな気もしません。合格通知が来たとしても、死んでしまいたい気分は残りそうです。一生物の病なのかもしれませんね、息苦しい。
 私のような、少なくとも経済的には恵まれた親元に生れた人間が、こんな気分になるのは、つくづく馬鹿々々しいと思います。もっと生き辛い状況に生きている人が大勢いると言うのに、私ときたら、浸かったぬるま湯に毒でも入っていればと騒いでいるわけです。その弱さが不愉快です。ある気分に囚われるか否か、を自分で操作できるのならば素晴らしいことです。そして、私は素晴らしくないのです。恵まれた環境にあって素晴らしくなれなかった自分の怠惰と愚とを呪って、超え出るために生きていきましょう。生きなければなりません。努力して、生きるのは、人間の使命です。

30, June, 2023

 御無沙汰。今日暑く、学校で眠くなりました。寝床などなし醒ますのに少し散歩をやりました。ぐるっと回ってコンビニで耳栓見付けて買いました。3M社製、259円。嵌めたら静かで眠気も飛んで大変集中できました。電車でも話声が聞こえず快いです。使い捨てでないもっと良いのをネットで探そうかと思います。ただ、周りの音が消えれば消えるほど、今度は自分の呼吸音や心臓の音が気になります。いっそ止めてみたい気がいたします。
 さて、六月も終わってしまうので、少々惜しんでやりましょうか。
 先日夏至も過ぎ、この最近は日が長いですね。明るいのは結構ですが、朝が暑くて参ります。家では朝から空調を入れる様な贅沢いたしません。非常な熱気で、起きた傍から気が滅入ってしまいます。しかし反省すれば、どうもつい二三月前は、寒さに参っていた様です。その間には花粉で弱っておりました。ずっと思い返せば、起きた傍から、と年中思っている。快い寝覚めなどという物は、わたしにあって、不可能なのかもしれません。それにしても、入梅以降割合大人しかった雨がどうしてまた、やる気になったものか。これじゃ日の長かろうと短かろうと、暗くて意味もありません。湿って暑いのだから、いよいよ不愉快極まります。
 そんな名残惜しい六月も終わります。七月と共に乾季でも来てみれば、今度は雨の嬉しさも分かるかもしれません。要らない物さえ無くなれば惜しい様です。そう眼前皆悲劇じゃ堪りません。得難きは苦し得れば失くすが恐ろし失くせば在りし日が憂しと。何を言いたいのか。書く事もないに、無沙汰に手持ち無沙汰を宛がっているだけなのだから、価値のない文ばかり出来るのは然るべき訳になりましょう。しかし価値の無いだけならば良いが意味まで無いのは困ります。とはいえ、日々殊にという事態も無いからやむを得ません。しかのみならず、常々会話も無ければ手紙も無く小説さえあまり無いのですから、自ずから敬語など話し難い書き難い有様に陥ります。ですます言ってりゃ分りもしないでしょう。敬語などソウロウ文で間に合ひ候。下らない。
 勉強はそれなりに進んでおります。発表をやって修正案を貰い色々考え直して、どうせならと殆ど変えてしまいました。今日その筋道を相談しに行ったら、どうも良くなった様です。自分でも良くなった様に感じます。良いのが出来れば無論嬉しくなります。が、普通人が発表や十二月の締切に向けて進めていく筈のものを、毎日毎日やっているのだから良いのが出来ねば困ります。当然悪ければもっと困ります。とすると時間をかけない方が却って精神に良いかも知れません。実際最近不愉快が続きます。死んでみましょう殺してごらんの気分になれば勝手になります。けれども他者を尊重せねばならん事位は赤子の頭にも分かります。食ってる暇もない時に腹が鳴るのと同感です。健康人が死にたくないのも疾患者が死にたくなるのも体の勝手に振舞わせるのもすべて脳の責任です。頭は健康が一番です。そうでなければ、頭を切り取ってみて魂だけ残すしかありません。しかしこれはちょっと人間に出来かねる様です。

15, June, 2023

 今日は二〇二三年六月十五日です。すなわち、たびたびお世話になっているt4v「一番星の下で約束した日」さんが十周年を迎える日であります! わー!(真似) おめでとうございます。
 十年間は凄いですね。なんせ、五年の倍で二年半の四倍です。氏は十四歳の女子中学生なので、四歳のころからHTMLを打ってきたことになります。正直、インターネット上で出会う人間などは、ほとんど信用に足りません。諸君も「また明日~」と別れてから二度と話していないネッ友の一人や二人いるでしょう。かくいう弊サイトも、明日には「やっぱ止めた」などほざいて消えているかもしれません。インターネット上の人格は、自分に属するものでさえ信用できないのです。こうした環境にあって、十年間も継続中のサイトというのは、ある種の安定感を引き起こしてくれます。わたしたちは、まずこれまでを見て、それによって、これからを考えるからです。もちろん、こうした推測は帰納的なので、可謬的です。t4vたそでも、明日「やっぱ止めた」とか言い出す可能性はあります。そもそも十年もサイト存続するようなヤバい人が考えることなんてわからないですね。突然404にならぬことを願いましょう。

 ついでに日記も書いときますか。先日、バンドリのカバコレ云々と書きましたが、密林で中古が500円だったので、つい衝動買をしてしまいました。それが今日届いたので、例によって聞きながら更新しております。「Q&Aリサイタル」はやはり良い。音ゲー抜きでちゃんと聞くと、コール(?)の「Question and answer」も丸山が言っている部分に原曲へのリスペクトを感じます。「逃さないで」には発狂し掛けました。とにかく丸山の可愛さが伝わってきます。値段で渋っていましたけど、定価ででも何でももっと早く買っておけば良かったです。このフルバージョンの悪い所はわたしが生まれる前から存在していなかったことです。誕生と同時に聞き始めたかったです。
 とかなんとか書きつつ、2ndの方も、すでに相当の回数を聞いています。そして、音ゲーなしに聴くと、各楽曲の良さを再発見することができます。たとえば、ねばーぎぶあっぷとか。タイトルが可愛くてトリルしんどい歌、という印象しかありませんでしたけど、歌詞をマトモに聴くとめちゃくちゃアイドルしてて良いです。丸山はアイドルとして世界に関わっているからこそ「丸山彩」なんだなあと思わせます。逆に、アイドル志望以前の丸山がいたとして、彼女は「丸山彩」という人格を有していないように感じます。
 なんてね、気にし過ぎかな。明日の十六日には、卒論の中間発表があります。三十分間も話さないといけないのですけど、読んでくれればわかるように資料を書いているので、わざわざ読ませなくてものことと思います。まあ、言っても仕方ないわけなので、無難に今日は早寝します。comment返信しました!

11, June, 2023

 月に二三日連続的に更新するスタイル、明らかに良くないですね。そのうちぱたりと止まってしまいそう。iPhoneから更新できるようにしたり、何かしらの手を打つべきかもしれません。それに、そもそも根気を持ちましょう、根気を。
 昨日t4vてゃのサイトを見てたのですけど、あのPastel*Palettes2ndアルバムが出たそうですね。わたしはこの丸山彩が好きですし、前島亜美さんも好きです。しかも、この2ndは彼女の「総決算的なもの」と聞きました。それゆえ、見逃せなくなり、高いですけど購入しました。4,400円です。1stはもっと高くて手が出なかったのですけど、この勢いで、卒論中間発表後に「自分へのご褒美~」とか言いながら揃えてしまうかもしれませんね。
 で、今聴きながら更新しています。最近ゲームの起動すらできていなかったので、久しぶりに丸山の歌を聴いて、体温が2度くらい上がりました。どれを聞いても良いので凄いです。ふつうアルバムを買うと、別に好きじゃないなーと感じる曲が一曲くらいあります。わたしは律儀で自意識過剰なので、好きじゃないなーと思いつつ、その曲を飛ばせません。というのは、あのキャラに悪いかなとか、この曲の良さがわからないのかと馬鹿にされるな、などと余計なことを考えてしまうからです。そういう感じと制約とによって、アルバム視聴は不愉快となり、基本的に音楽を聴かなくなっていきます。実際、最近の私は(もう半年くらい?)4万円もしたクソ高ヘッドホンを無音で装着して、微妙なノイキャン機能だけを使っています。しかし、このアルバムには聴きたくない歌が一つもありません、つまり、全部聴きたい歌なのです。これなら、ストレスは何にもありません。聴きまくることができます。4,400円は一見高価ですけど、視聴回数である分母が∞なので、実質タダでコスパ最強です。ね?
 ただ、不満もないではないです。1stに収録されている楽曲が入っていないのは当然にしても、「カバーコレクション」に入っていたカバー楽曲は、入れても良かったんじゃないかと思います。というか、「Q&Aリサイタル」を収録してほしかったです。わたしは丸山の「Q&Aリサイタル」が、正直、下手なオリジナル楽曲よりも好きです。あえて戸松遥さんとは比べませんけれども、まあそういうことです。なのに、2ndカバー篇は、10曲も収載しておきながら、「Q&Aリサイタル」を載せていません。なぜなら、多分、「カバーコレクションVol.4」に入っているからでしょう。だったらそれ買えよって話ですけど、3,520円12曲のアルバムの内で本当に聴きたいと言えるのが「Baby Sweet Berry Love」とQAだけなので、さすがに高すぎて買えません。わたしはもちろん別バンドアンチではないので、他のも一周は聴くでしょうけど、根本的にボカロ(のファン層)があまり好きではないので……
 あー「はなまる◎アンダンテ」良いです。まじでQAのためだけにカバコレ買おうかな。中古で安く売ってないかな。1stも買わないと、ルミナスとかしゅわどりとか聴けないので、結局めちゃ高く付きそうですね。少し前までアマプラでパスパレも聴けていたんですけど、いつのまにか駄目になっていました。かなしい。

 書きすぎた。のでここからは素早くいきます。まずサンリオキャラクター大賞結果発表がありましたね。おかげさまで今年も、シナモンが1位でした。「たくさんの応援がぼくの宝物!本当にありがとう♪キミのことがだいだいだいすきだもんっ♡」だそうです。わたしもめちゃめちゃシナモンのことが大好きだもんです。詳しくはシナモンの歌聞いてください。ちなみに、yoshikittyは21位で、ハローキティは5位でした。わたしはスヌーピー信者なのでポチャッコアンチなんですけど、今年もそれなりに上位でした。これだけ納得できません。4位で嬉しそうな顔が可愛いのもムカつきます。サンリオ興味なくても、結果をスクロールすれば可愛いキャラがたくさん見れてニヤニヤできますよ。
 それと、t4vちゃんが車こすったらしいです。可哀想ですね。目立つほど凹んでたら諦めて店に遣らせた方が良いでしょうけど、ガードレールとかに軽く擦っただけなら表面に塗料が付いてるだけでコンパウンドとかでゴシゴシやれば綺麗になる場合もあります。ホムセンとかで見てみてください。わたしは車買って一週間経つか経たないかという時に、店の看板に擦ってガガガガッとか恐い音しましたけど、コンパウンドで擦ったらほとんどわからなくなりましたよ。
 と書いていたのですけど、更新以前に絵具で直していたようです。絵具……?

10, June, 2023

 五月の終わりに書いたからまだ良いか~などと考えていたら、気付けば二桁日付に至ってしまいました。コメント返信も九日遅れて、人気サイトでもないに馬鹿々々しい。
 卒論がどうこうと、以前からやたらに書いてきましたが、来る16日に中間発表をします。ですからとりあえず、これまでの研究成果をまとめて発表資料を構成しているのです。けど、ちょっと張り切り過ぎたのか、あるいは文章を書くのが下手糞すぎるのか。30分の発表に対して一万字を書いて、まだ伝えたいことの半分程度です。本当にこのまま卒論を完成させられるのでは……?
 いや、それだとスカスカすぎるのでしょう。大学の先生をやってるような人種の論文でも、スポンジみたいな論文は存在します。ここでその名前を挙げたり、なんならその論文の内でインターネット上に公開されているもののURLを貼って。あるいは彼の論考を写真にとって保存しているものをここに提示して、諸君に彼の愚かさを知って欲しいほどです。頭が悪い。そういう物言いは嫌いです。努力・熟考によってわれわれは、主観から抜け出すことができると思います。しかし、プラトン的な思想にまんまと乗っかって、そこから自然科学的知見を一切取り入れずに、不寛容で無自覚で非論理的な態度を取る〈自称〉哲学者のこともまた、大嫌いです。昔の哲学を勉強することも楽しいですけど、複雑化した近現代的哲学から逃げて簡素な結論に安住しながら哲学の顔をするのは止めてほしいです。彼らは、哲学という学問の信奉者でありながら、哲学の価値を貶めています。
 恨み節が過ぎました。わたしが言いたいのは、要するに、才覚もなく努力も足りない学者は追放しましょう、ということです。彼らをもっと有力な者に置き換えれば、読む必要もないような馬鹿々々しい論文の数が減り、学生の義務が軽減されて良いです。
 まあ学部生で愚なわたしがこんなことを述べたところで、諸君の賛同は得られないでしょう。そんなことは、とうにわかっています。そして、わたしもまた、文学論文などまともに読んだことのない諸君の、わたしの意見に対する印象をまったくアテにしていません。
 最近、死について考える機会が非常に多く、気が荒んでいます。TMT的に、諸君に対する侮辱は、わたしが自分の文化的世界観を維持するための行動だと、そう思ってお許しください。

30, May, 2023

 日記の前に、まず謝っておきたいことがあります。先日、「一番星の下で約束した日」様にWebClapを送りました。そこでキリスト教が云々等と書いたのですが、後から見返すと、明らかに読んで不快になる文章でした。申し訳ございませんでした。

 今日も一講時目から授業を取っていまして、朝から不愉快な満員電車に押し込まれました。つい昨日(?)、関西では入梅したらしいですね。わたしが出掛ける事などお構いなしで、しっかり季節感ある雨でした。おかげで、駅までの道程までジメジメして、気分が悪いったらありません。
 わたしは、傘を使うのが異常に下手糞です。別に『よつばと』ネタではありません。本当に、小雨であれ、霧雨であれ、豪雨であれ、どのような種類の雨を相手取ろうと、わたしの傘は真面目に機能してくれないのです。雨が降るということは、わたしが濡れるということになります。現に今日も、自宅から最寄駅までの僅か十分足らずの歩行によって、わたしの髪も手も、傘を忘れたも一般に濡れてしまいました。
 そんな不愉快の中、一時間もかけて、ようやっと学校に着きます。さあ教室へ入場、と思って扉に手をかけますが、どうも開きません。先生が遅刻してちゃあ学生の遅刻もわかりゃしないな、と呆れながらも、扉の前で待つ他ありません。已むを得んのでじっとしていても、一行、先生は現れません。先生どころか、受講生の影も二つばかりしか見えません。そのうち授業開始のブザーさえ鳴ります。とうとう可笑しいぞ、と学校アカウントのメールを確認すると、何の事はない。所用で休講との報知が、昨日の朝に届いておりました。わざわざ雨に濡れて、満員電車にまで乗って、馬鹿な思いをしたものです。遅い先生に呆れて見せたわたしの感情の、諸君にとって不可知領域であるのが、せめてもの救いとなりました。それをインターネットに公開してりゃ訳もないのですけれど。
 ですから、今日という日を朝から晩まで、図書館内だけで終いました。別の大学で理系を遣っている友人の談によると、彼は学部時代から、研究室内に一席を与えられていたようです。わたしも今年四年生ですが、研究室に席などなければ、居場所もありません。文理の差異でしょうか。それとも大学の学力の相違か。よくわかりませんけど、決まった椅子が無いのは面倒です。ちょっと席を外して書架の本を立ち読んで、さあ纏めてみようかと席に帰れば、「席取り禁止」だの「手荷物放置禁止」だの「PC放置禁止」だのと、小さな紙が何枚も置かれてしまいます。無論、盗難の被害に合えば後悔もしましょう。しかし、うるさいのには大閉口です。それに、考えてもみてください。それだけ頻々見回っておいて、いざ盗まれたら「放置が悪い」って、そんなら紙なんか始めから置かなくてもの事ではないかと思ってしまいます。ただ、その紙のおかげで栞には困りませんから、一長一短でもあります。

 書き忘れる処だった。今日テキサイスレのwikiを開こうとしたら、突然、avastが妨害してきました。一応、一時機能停止したら見れましたけど、これ何とかなりませんかね……

26, May, 2023

 このままだと月更新一回になってしまう…… 幼少期、車による長距離移動の際はいつも『となりのトトロ』を視ていました。そのおかげで、さつきちゃんとめいちゃんの命名根拠であるところの五月を嫌いではありません。無論、好きというほどでもありません。ただ、小・中学校時代の英語や国語の授業で、皐月とMayだけは覚えるのに苦労が不要でした。このことだけは、感謝の対象となるでしょう。そうでない面をみると、わたしのロリコンは、トトロとモンスターズインクに根差している気がします。「皐月」及"May"の記憶とロリコン化とを重要性の秤に掛けて検討すれば、当然、トトロは教育上見た方が良いことになります。ちなみに、ジブリアニメの中では『風の谷のナウシカ』か『千と千尋の神隠し』が好きです。トトロの内容なんてほとんど覚えてないです。が、トトロに内容らしい内容など無かったような気もします。
 今日も今日とて、13時間くらい学校にいました。そして、今日も今日とて大した成果も得られませんでした。しかも、今日は図書館へ入ることが出来ず、授業時間以外ずっと自習室に居座っていたため、なかなか謎な時間でした。家で集中できれば良いのですけれどね。
 図書館に入れなかった事情は、実にマヌケな失態によります。今朝、寝惚け眼で準備をして、満員電車に揺られて一限を受講しました。そこまでは良かったのですが、授業後にリュックを整理すると、財布が入っていません。わたしはかなりの頻度で物を紛失しますから、一瞬かなり焦りました。けれども、その時点までに一切財布を取り出していなかったため、きっと家に忘れたのであろうと結論付けました。とはいえ、財布には学生証が入っており、学生証がなければ図書館へも入れてもらえません。仮学生証のような制度も探せばあったのかもしれませんが、それも面倒です。帰ろうかとも思ったのですが、わたしは四講時の授業も聞かなければなりません。もちろんそれまでの時間で十分往復可能なわけですが、やはり、はなはだ面倒ですから、久しぶりに自習室(開放教室)を使ってみることにしたのです。
 自習室は、コロナ全盛期に比して幾分か閑散としていました。きっとオンライン授業がほとんどなくなってしまったせいだろうと思います。ですので、むしろ、図書館よりも静で快適な気さえしました。このようにして時間を潰し、授業を聞き、再び自習室に閉じ籠ったわけですが、ふと、帰宅時に家人が皆寝ていれば家に入れないなと気付きましたから、財布の事情を説明して二三時まで起きていろと伝えました。しかし、しばらく後に母親から、わたしの財布を探しても家内に見つからない、と連絡が来ます。となれば、わたしも再び紛失の恐れに晒されなければなりません。どうしたものかと、ひとまずリュックをひっくり返しました。するとすんなり、普段使わないようなポケットから財布が出て来るではありませんか。そして漸く、今朝「紛失しないように」と変なポケットへ財布を押し込んだことを思い出しました。このときすでに二〇時頃です。図書館へ入ってもどうせ高々二時間くらいで追い出されてしまいますから、結局、仕舞まで自習室にいたわけです。まったく、己の愚なのには呆れてしまいます。

 そういえば、今日、サンリオ投票の締め日でしたね。いうまでもなく、諸君はシナモンに投票したであろうと考えます。なぜなら、いうまでもなく、わたしもそうだからです。中間発表ではシナモンが一位でしたが、結果はどうなることやら。まあ別にそこまで心酔しているわけでもないため一位じゃなくても許せますけど、シナモンを不動の一番人気にして、はやくシナモンのカー用品を増やしてほしいです。ね?(←徳川まつりの真似)

12, May, 2023

 こんばんは。五月に入って早二週。ずいぶん暖かくなりましたね。大阪府では二十五度を超える日も多いため、もはや暑い程です。来週からは、半袖を出そうか、検討しています。
 前回日記を書いてから、卒業論文は、ずいぶん進行したようです。基礎作業などとうに終えてしまって、資料も集まり、考察も一段落しました。とはいえ、まだ五月ですから、これをさらに発展させてゆかねばなりません。さもなければ、わたしは、手元の資料を使いながら二万字を打鍵するばかりで、卒業要件を満たしてしまう訳になります。そんな筈もないでしょう。しかし、わたしは、特定の作品を読者がどのように受容するのか、その様相について心理学的知見など援用して議論するのが好みです。それ以降に議論すべき点など、文学理論的の問題(ジェンダー論、ポストコロニアル批評、など)や、作品の依拠した素材、作家の意図くらいしか思いつきません。漱石作品など、素材については、散々検討されています。意図も、『文学論』およびその他評論等によって体系化されていますから、比較的簡単に考察されます。文学理論的の問題だけは、まだ余地が残っていそうですけれど、正直なところ、今更戦時の作品に照準を当てて時勢の影響が云々と、言って何が面白いのでしょう。その他に何があるかというに、初期漱石における「燈籠」の表象……などでしょうか。これも、別段遣りたく思えません。
 そうはいっても、今到達している最終的結論もまた、わたしにとって全く面白くもなんともないので、どうかしなければならんことだけ慥かです。しかし、文学研究上の結論が驚くほど画期的であることなど、そうない様にも思います。それならばいっそ、有難いことを有らしめんとする心意気を自らの中に判然と意識して、これを重んじながら遣っていた方が、気分が塞がず良いかも知らないです。わたくしなど元来、神経薄弱にして志を為せざるような愚物であります。ちと張り切って一つ方面を向いてみても、五六合目には息を上げてしまいます。そこにおいて、方角も定めず只張り切ってみて、どうせどこにも辿り着きはしまいと澄まして居れば、案外、継続も可能になりゃしないかと期待するのです。

19, April, 2023

 お久しぶりです。別に忙しいアピールする程は忙しくもなかったんですけど、それなりに忙しかったり眠りすぎたりして、気付けば12日も開いてしまいましたね。そもそも、エイプリルフールネタがやりたくてWEBサイトを作成したきらいがあったので、若干燃え尽きておりました。このように諸々の事情を説明するような、弁明染みたことなど書いておりますが、実際、なんだかんだ私の更新ペースは今後もこのくらいかと思います。私におきましては、上記の事情は年中当てはまる物でしかありません。Twitterを止めて、メモ帳とかに作文すれば良いのかもしれませんね。
 今日は、一限だけ受講して、そこからだらだら午後十時くらいまで、卒業論文の準備などしておりました。身バレすると嫌なので詳細には書きませんけれど、卒論では、漱石の短編小説を取り上げて論を立ててみようと考えています。それに当たって、作品の他に色々と読まなければならない資料がありますから、どうせ暇に使い得る時間ですし、読んだり要約したりしていました。当然、私とて文学部学生の端くれですから、小説を読むのは好きです。娯楽的な意味でいう面白さも人並に感じられていると思います。とはいえ、娯楽に供することだけを目的に物語を受容するのなら、正直なところ、漫画やアニメを見る方が楽で好きです。楽だというのは、こういった一般的にみて大衆向の娯楽物語においては、作者がわたしたちに喚起するよう意図する感情が、比較的単純明快である、という意味です。よほど作文が苦手であったり、あるいは、流行の言い方を用いるのでない限り、視聴したアニメの何がどう良かったのか、分からないことは稀であろうと思います。しかし、アニメが漱石になると、一般的なわたしたちの精神上には、よく分からないのに心に残ったということが多々起こって、もやもやします。精神の焦点化する観念が不明瞭であると自ずから不愉快を感じますから、感動はするものの二度と読みたくないような気になってきます。もしくは、どうかして、かの靄を晴らさなければならない訳になります。多事御多忙の諸氏は、もとより後者の道を選り難くて然るべきでございますが、私などその解明が本分ですから、気分の如何に関わらず、後者を選んで解消しなければいけません。無論、それが楽しくて院まで行って遣ろうと言うのです。この種の義務が私の情緒上に落とす影が大きかろうはずもありません。しかし、これらの仕事から生じる愉快を指して、物語由来の満足と称えるのには、やや違和感があります。

07, April, 2023

 先日、高槻市主催の小祭へ行ったことを書きました。その際には書きそびれたのですが、高槻の名産品を500円(税込)以上購入すると、高槻やよいちゃんのステッカーが配布されると聞いて、百合の木の蜂蜜と汁なし担々麺二袋を購入していました。
 蜂蜜は、コーヒーに入るために買われたのですが、未だ封を切られていません。純粋の蜂蜜は高級品なので、つい勿体つけてしまいます。汁なし担々麺の方は、一方をイベントから帰宅してすぐに食し、残りの一方を、面倒で放置していました。それを今日食べたので、報告しておこうと思います。
 といって、在り来りの即席麺なら、いくら書く種の乏しい私でも、わざわざ日記に興したりしません。いちいち書いてお見せするのは、それが、かの有名なキャロライナリーパーを含んでいるからです。なぜ高槻市の名産品として即席麺が販売されているのか、不可解でしたが、どうやら、高槻市在の農民が、キャロライナリーパーを栽培しているらしいです。
 私は、辛い物が好き、というより、辛い物を食べるのが好きなので、購入せずにいられませんでした。まあ、ぺヤングの「G(ゴキ)激辛final」を完食した私にしてみれば、公共機関で販売可能な次元の辛さなど、相手取るのも大人気ないくらいなものです。行政が自ら医療費を嵩ませる訳もありませんから。
 先述の通り一方いただいて放置していたのを、賞味期限が迫っていたので、今日作ってみました。前回、若干味の薄い気がしたので、今回は、茹で時間を30秒間減らして、代わりにフライパンで炒め水分を飛ばしてみました。おかげで洗い物が倍くらいになりましたが。
 食べてみたところ、流行した韓国製即席麺「ブルダック」を薄くしたような味がしました。甘味も塩味も控えめで、特別美味しくもないですけど、不味くもありません。「化学調味料不使用」を誇っているだけあって、健康的な味でした。私は貧乏舌なので、非健康的でも良いからもっと味を濃くしてほしいところです。
 辛さの方は、一口目を咀嚼して飲み終えた頃合で頂点に達する感じでした。正直、かなり辛かったです。食事をしているだけなのに、若干頭皮が汗ばみました。とはいえ、途中で水を飲んでも問題なく次の一口へ移れる程度でしたので、もしペヤングのように全国のコンビニエンスストアで販売されたとしても、Google検索のサジェストに「死亡」の二字が出ることはなさそうです。私は半ばで飽きて物足りなくなったので、花椒を振りました
 最後に、この担々麺と同等に辛い物を自宅の中で探したところ、タバスコを飲むよりやや辛いくらいだろう、と結論しました。一味を直で食べるよりは辛くありません。インターネット上でも、割高ながら販売されているらしいので、辛さに弱く心配な諸氏は、一味を舐めてから検討すれば良いのではないでしょうか。別にこれを食べても自慢にはなりませんし、それほど美味でもないので、私は勧めません。

06, April, 2023

 今日もまだ春休み期間内です。しかし、来週には学校が始まるせいか、謎の焦りが起きて、本も読む気がしないので、近所のドン・キホーテに行ってみました。無論、お金もないので、ふらふら見物だけして帰れば良いと考えての外出です。
 そこそこ大きな店舗を訪れたので、他では見ない変なカップ麺とか、着て歩けば通報されそうな程薄いTシャツの叩き売りを眺めて歩けば、小型の電気屋に行った程の時間を過ごしていました。とはいえ、何を買う気遣いもないので、やがて飽きます。そろそろ帰ろうかという頃合いになって、喫煙具の売り場を発見しました。いま思えば、これが無駄遣いの原因になったわけですから、当然ここが後悔のしどころです。
 さて、私は趣味程度に喫煙するので、何か珍しい物でも売ってやしないかと、気になって覗くのが自然です。見ると、「シャグ」やら「リトルシガー」やら書かれた札が、ちょうどコンビニのグミ売り場然として、無数に掛けられていました。リトルシガーというのは、おそらく、現在のわかばやエコーの同族でしょうから、まったく珍しくもありませんが、この「シャグ」とかいうのは、聞いたこともありません。インターネットで調べようかとも思いましたが、どうせ不要のものなので、字だけ覚えればよろしいと考えて、放っておきました。次いで、「煙管」の字を発見しまして、こりゃ面白そうだと思ったものですから、つい、「小粋」とかいう私に似合いの名を持つ煙草葉を600円で、そのための煙管を1,390円で購入しました。これだけで都合1,990円の出費ですけれど、どうせ金を使うなら幾でも同じことだと思ったものですから、以前から手持のライターが液漏れるので、安売のZIPPOライターも購入することになります。挙句、店員に「葉巻があるか」と尋ねてみたところ要領を得ない返答であったので、面倒になって、目についたパッケージを指して、それを買ってしまいました。実に無駄遣いをやりましたが、どうせ他に買うものもないですし、無駄遣いをするためにアルバイトをやっている様なものなので、まあ結構です。それに、紙巻を吸うよりは幾分か安価に済みそうなので、却って節約なのかもしれません。

いいライター使ってんじゃないかよ! ラブライブ!だろ?

 帰宅した後、さっそく煙管を飲んでみたところ、これは、紙巻より上等な味がしました。私は普段、黄色のPEACEというやつを吸いますが、これよりも純な味がして、好ましいように感じました。もちろん、物珍しさが嬉しかっただけかもしれません。そして、葉巻と思って開けたパッケージには、紙巻に詰められているような、あの茶色の葉が入っているばかりで、まったく葉巻ではありませんでした。調べたところ、これがかの「シャグ」だそうです。残念でしたが、煙管に入れれば同じような役を果たしてくれたので、もっとも味は落ちますが、諦めることにしました。結局葉巻を目にできなかったのだけが、私の心残りです。

04, April, 2023

 四月に入ってからというもの、時の流れが異様に早く感じられます。久方ぶりの登校が既に私を捕えてしまった様です。まだ履修登録を済ませていませんが、恐らく今学期の通い始めは、四月十日になりそうです。
 学校を嫌いではありませんし、勉強はむしろ好きですけれど、通う動きが大儀で参ってしまいます。やはり、県境を跨ぐ通学など、しないに越したことはありません。なにせ時間もお金も掛かりますから。もっと他に時間を注ぐべき器があるでしょう。まだ気分だけは若いものですから、特にそんな気がいたします。
 若いの若くないのと大学生身分の私などが申し上げれば、年長者諸氏に調戯われても仕方がないようですけれど、その一般的大学生が属すべき所に属しておれば、必然、ほとんどの機会で私は年長者となるわけです。そして、そういう場合には決まって、自分が老齢の何者かにでもなったような心持になるのです。そのせいか、近頃、自らの身体に老いを感じる機会さえ生じてまいりました。まさに今も、腰の痛いのを我慢しながら文字を打っております。この間まで、腰痛なんて年寄か肥満の専売特許であろうと思っておりました。

 さて、お気付きでしょうか。今日の主題は全然、こんな日記ではありません。新しくページを開設した旨、記しておきたいがために筆を執っております。このページは、大抵の人間にとって詰まらないものであろうと想像します。なぜなら、ただ純粋な自慢であるからです。というよりも、自分自身の記録を時順で取った形になりましょうか。しかも何の記録って、最近は下火になってしまったらしい「BanG Dream!」アプリの記録です。私は面白いと思ってやっているのですが、客が離れているらしいと伝えるネット記事の見出だけ目にしました。盛者必衰ですね。
 先日ゲームのUIが変わって、選択中の楽曲がカバー楽曲なのかオリジナル楽曲なのか、表示がなくなりました。これを受けて、何年か前のことを思い出しました。高校生がカバー楽曲の本人演奏を聞いて、「BanG Dream! の歌だ!」と言ったらしい件です。この時に目にした意見の内で、楽曲をカバーするのは良いが、「Bang Dream!」運営には被カバー側への配慮が足りていないのではないか、というものです。私としては、アーケードのゲーム機でやった音楽について「ユビートの歌だ」と思った経験者なので、音楽ゲームなんて大抵がそんなものだろうと考えます。とはいえ、こういう言われ方をした以上、せめてカバーか否か明示し続ければ良かったものを、わざわざ隠してしまって、いっそう先のような出来事を助長しそうに思われます。要するに、この変更は反感を買うのではないかと思ったのですが、「Bang Dream!」というコンテンツには、既に「Bang Dream! の歌だ!」と言われるような勢いが失われてしまったのかもしれません。

Fool, April, 2023

 とうとう四月になりましたね。別に四月だから何だということはないのですけれども、学校が直に始まりますし、院試もかなり近づいてきました。先のことを様々に考えると、ずっと眠っていたいような気分になります。大丈夫なのか? そんなことで。
 寒い長期休暇が終わるということは、学年が一つ変わるということです。私などは、三が四に成るか成らぬかというばかりですから、特段でもございません。しかし私の妹の場合をみれば、高等学校三年生が大学一年生になるのですから、数の上で逆流せざるを得ない訳です。接頭があればこそ、後退に映る心遣いも不必要に思われますけれど、吾が妹などはその頭脳がちと愚に仕上がっておりますから、手放しに前進だと呼ぶわけにも行かない様子で困却いたします。金の出所はもとより両親に帰りますゆえ、一見すると私の心配に及ばぬようでいて、私の基金もまた父親の所得に依存しているのですから、無批判で通すのも心情の上でちと難しいのです。といっても、金が親から出なければ出る所を別で探しますし、探し出せなければ諦観で、去るべき所を去るまでです。心は落ち着いております。
 私は実家にいながら大学へ通っておりますが、妹の通うべき学校は中国地方の田舎にございますから、そういうわけにもまいりません。必要上かの地へ転居させて、一人住まわせなければなりません。今日(三月三十一日)、父と母とはその用を済ませるため、妹を連れて、田舎の方へ行きました。二泊の後帰ってくると言って出て行きました。妹は、田舎へ置き去りだそうです。まだ若いうちから好んで、それも人に頼って田舎へ行くのには全く感心いたしません。中でも感心し得ない部分は、そのために私と弟とで二日間も家を守らなければならない事情にあります。
 普段なら床など殴らずとも晩の支度の用意されるところが、この二日間だけは自らの手でその用を果たさなければなりません。幸い父の計らいで一万円ほど施しを得ましたから、今晩は寿司屋で済ませました。明日はどうすべきか、再度弟と検討しなければなりません。献立などは他に頭を使わぬものが仕方なしに建てるものだとばかり考えてきましたけれども、作ると作らないとにかかわらず、それを立てるだけでこう骨が折れるとは、つゆ存し上げませんでした。面倒でかないません。府下にいくらでも大学と名のつく施設など位置しているのに、わざわざ金をかけて、非常に馬鹿らしいと存じます。

 最後に。リンクにも紹介いたしました、「一番星の下で約束した日」というウェブサイトを運営なさっているt4v樣が、バンドリの「Punchline Halloween」を「フルコンできないから」、「10年間続けてきた」かのサイトを「終了する」とおっしゃいます。しかもその最後の日記には、「後を」私が「継いでくれる」とさえ書かれています。図らずも、運営開始から一月足らずという弊サイトの頭に、あの10年間の成果を連続していただけるということなので、無論喜んでお受けして、「Punchline Halloween」をフルコンボしておきました
 というわけなので、弊サイトは10年間の歴史を譲り受けて、一足も二足も飛びに飛んで由緒ある場所となり得るはずでしたが、こうしてキーを叩きモニタを眺めるうちに、この様な重荷は、私の生まれて以来所有する撫肩からずり落ちてしまったので、渋々ながら返上させていただきます。どうか勝手をお許しください m(_ _)m

25, March, 2023

 三月二十五日といえば、高槻やよいちゃんの誕生日です。おめでとうございます! やよいちゃんは、貧乏で頑張り屋な女の子です。この字面だけで既にかわいいですね。貧乏な女の子はかわいいからです。
 そして、高槻やよいちゃんは人気キャラクターなので、大阪府北部にある高槻市の観光大使を去年から務めていらっしゃいます。「NEW GAME!」で涼風青葉役を演じた高田憂希さんが北九州市で観光大使を務めていたり、「それが声優!」の萌咲いちごちゃんが香川県三木町で「三木町いちご大使」なる謎の官についていたりと、最近はアニメ関係の「大使」さんが散見されますね。
 そのことに対しては、特に不満もありません。オタク向けの出し物が一般人観衆の中行われるのは、オタク参加者として恥ずかしいので出来れば止めて欲しいですけれども、悪いことではないでしょう。というのも、二十五日、やよいちゃんの誕生日に合わせて高槻市では、(ついでに市制開始80年も祝って)やよいちゃんのバースデーイベントを開催していました。私は高槻市民ではありませんけど、近隣の市に在住しておるので、この内の仁後真耶子さんのトークイベントに顔を出してきました。
 私が会場に到着したのは、このイベントが始まる1時間ほど前でしたが、そこここにイカニモな感じの人々がいる一方、一般人親子や学生もいて、なかなか混沌とした状態でした。言うまでもなく私もイカニモ側です。早めに行ったのは、やよいちゃんのグッズが売られると聞いていたので、見て良いのがあれば買おうと思ったからでしたが、1時間では甘かったらしく、既にすべて完売していました。さすがビッグタイトル「idol m@ster」ですね。
 どうしようもないのでグッズは諦めて、高槻土産を見たり会場を散歩したりして時間をつぶしました。安満遺跡公園というのはたいへん広い場所で、ちょっと歩いたくらいで回り切れるものではありませんでした。後のトークショーで仁後ちゃんも、こんなに広い公園が近所にあれば毎週散歩しても飽きなさそうで嬉しいのに、と語ってしらっしゃいました。同感ですね。
 トークショーは予定通り30分で終わり、私もオタク達と群を成して帰宅しました。生で見る仁後ちゃんは可愛かったです。声優をイベントとかで見ると、まじであの声が生身の人間から出てるんだな、と驚きます。声豚ではないので、普段は、アニメキャラのアイドルはその声優と異なるのになぜ声優のライブなんかに行くんだろうか、と不思議に思っております。とはいえ、やっぱり実物を前にすると感動してしまうあたり、私の単純でかわいいポイントだと思います。
 そういえば、日付の変わる頃、仁後ちゃんのブログが更新されていました。読みましょう

24, March, 2023

 私の通う大学には、副専攻という制度があります。本来、私ならば(順調にいけば)国文学の学士を受けるわけですが、この制度を利用することによって、学部内別学科を副専攻ながら修了した証明を受けることができます。この証明を受けるためには、一般の履修登録に先んじて申請しなければならないのですが、この申請がなぜか紙面での提出に限られているのです。一般の履修登録はネットで済ませているのに。意味が分かりませんけれども、「分からない」と言ったところでどうかなるわけでもないので、今日その提出を済ませておきました。定期も切れているので、電車賃が往復で約2,000円かかりました。もったいない。
 その仕事を終えて14時頃に帰宅し、ボッとして午後を過ごそうかとも思ったのですが、なんとなく出かけたい気分でしたし、昨日の晩は入浴しませんでしたから、少し足を延ばして銭湯を訪れました。いわゆるスーパー銭湯とかで、入場料が820円とべらぼうなのですが、ネット上にクーポンを発見したため、80円引きで入ることができました。にしても740円ですから、普通に高いですね。
 ところで、私はそもそも銭湯、というよりも、大浴場が嫌です。「風呂は命の洗濯」だそうです。多感な少女は、父親の衣服と自分のそれとが一緒に洗濯されるのを嫌がりますね。そうでなくても、コインランドリーで知らない誰かと相席なんて、大抵の人間は嫌でしょう。ならば、他人と風呂に入るのも嫌がらなければなりません。他人との風呂が嫌でない人々は、コインランドリーの相席も嫌がってはいけません。
 そういうわけで、私は普段、ほとんど大浴場に行きません。旅行中も、温泉街でなければ部屋ので済ませます。もしくは夜中、誰も入らないような時間を狙ってこっそり入ります。それがどうして銭湯なんかへ出向いたかと人は聞くでしょう。至極単純なことです。最近「坊っちゃん」を読んで、銭湯へ行ってみたくなったのでした。道後温泉にもまた行きたいですね。
 平日の昼間なら人もさぞ少なかろうと踏んでいたのですけれど、実際にはそこそこの客入りでした。人の多い地域では暇な人の絶対数も増えるのでしょうね。嫌なことだと思いながらシャワーして風呂に浸かっていたら、「サウナの入り方」のタイトルで張り紙が為されていました。私はじっと我慢ができない性分なうえ、苦しいのを耐えるのも嫌いなので、サウナも好きでありません。とはいえ、どうせ720円を払ったのであるから、一通り色々やってみようと考えました。
 そのポスターに曰、サウナに6~12分、水に1~2分、外に10分を三四回繰り返すと、「整う」のだそうです。「整う」という言い方は、浅学なる私でも聞いたこと位はあります。別に普段からどこか乱れているわけでもなし。わざわざ時間をかけて整えるべき何物も自分の内にはあり得ないと自負しておりますが、ともあれやってみました。サウナに入って、ボッと坐り惚けます。テレビが付いていましたが、相撲ばかり取って面白くもありません。暑いよりなにより退屈が酷く不愉快にございました。しかし、途中で止めちまえば、それはそれで負けた心地が来そうです。暑いのも暇なのも大嫌いですが、負けるのは一番嫌です。そんなことで、とうとう10分間を忍びました。
 だらだら全身に汗しながら小部屋を出て、今度は水に浸かります。汗のまま入ると悪いので水を掬って汗を流したところ、これが冷たいのなんの。皮膚が張ってぴりぴり痛みます。血でも止まったかと振ってみたら、死んで腐った部位が飛んで行きそうに感じました。こんなことが健康に寄与するわけも無さそうです。温いのに浸かり直した方がよっぽど好い気分だろうと思いました。ですが、やっぱり負けたくないので渋々ながら水にどぼんと浸かってみれば、当然かけるだけよりいっそう冷たいです。右手小指幷薬指は、浸かってすぐから利かなくなりました。水の中にいるにもかかわらず、全身の表が乾燥したようにきゅうきゅう痛んで、そろそろ張り裂けそうだと思い始めた頃合いにやっと1分が経ちました。
 この後は外へ出て椅子に坐ったのですが、頭が回るように痛くてかないませんでした。10分間もあるので暇つぶしに何か考えようとしても、その考える道具が痛くてどうにもできません。しかも、眼を開いていると視界がぐらぐらしてきました。ひょっとするとこのまま気でも失うんじゃないかと恐ろしいほどです。頭は痛むし目は働かないのでやむなく見ず考えずで5分間も頭を抱え続けにしておいて、やっと治ってきたかと思えば、今度は段々寒くなってきました。やってられません。最後の方には震えるほどでした。
 こんなに大変な事々を、もう二遍も繰り返さなければなりません。嫌は嫌ですが、止めんとすると脳内の敵が「繰り返せよ。一回で止めたら辛いだけに決まってるだろ」と言います。日頃から、煽られて後退するのは自動車の運転に限らなければならないと考えているので、どうせ時間もありますし、風呂に浸かってみても詰まりませんから、結局三回通しでやりました。そして、誠に残念ながら「整う」こともつゆございませんでした。いま自宅でこれを書くに至ってようやく、あれだけ暑かったり寒かったりすりゃ体は壊すし頭も働かなくなって然るべきだなと思います。ネットの情報では、サウナと水とを繰り返したら体に毒だそうですね。サウナを好んでやる人達は、暑さと冷たさとで何も考えていない状態を指して「整」字を用いているのでしょうか。ならば、彼らにおいて書類整理とは書類破棄であり、思考の整理は思考放棄でしょう。
 こうして、久方ぶりの世紀末スーパー銭湯をやや不愉快な気分で後にしました。ちなみに、その銭湯はホロライブとコラボしていました。関連商品など買いませんでしたが、この羊キャラの絵が描かれた風呂へ入ったり、館内放送が耳に入ったりはしました。そのせいか、時間の経過につれてオタク集団ぽいのが増えていきました。でも、オタクって風呂入らなそうなくせに銭湯好きそうなので、普通にホロライブとか関係なく習慣なのかもしれませんね。ホロライブの写真撮ったので貼っときます

21, March, 2023

 今日は親から頼まれて、近所のスーパーまでお遣いに行きました。何故か知りませんが、一般人諸氏におかれましては労働日である火曜日に特売をしていた様子です。平日は客が少ないから客寄せでしょうか。微妙に遠いスーパーなので、移動手段は自ずと原付か車か、選ぶことになります。普段なら原付で済ませるところですけれど、今回は荷物が多くなりそうだったので、車を選択しました。結果、買い物を終えて駐車場に出ると雨が降っており、濡れずに済みました。
 しかし、私の車はちょうど先週の土曜日、すなわち、18日に洗われたばかりであったのです。私の車は、雨に濡れぬ位置に駐められているため、出掛けさえしなければ、濡れることもありませんでした。それが、荷物の量に臆したばかり、洗車後即降雨です。どうせ濡れると分かっていたならば、あんなに時間をかけて濡れた車体を拭く必要も、なかったかもしれません。
 もちろん、どうせ車はやがて汚れるのですから、それが思ったよりも早かった、というのに過ぎません。とはいっても、なんとなく早すぎる気が、腑に落ちない感じが残り続けています。また、洗車したのが一か月前だったら、なんとも感じなかっただろうな、と思います。では私たちは、洗車後どの位の期間が経過したとき、この早すぎる感じを感得せずに済むのでしょうか。
 そのことを考える前に、まず、時間経過がこの感じを和らげている事を示さなければなりません。これは簡単なことです。洗車した帰路、雨に降られたことを想像してみれば良いのです。そして、翌日、その翌日、さらに明くる日、と想像したとき明らかなことですが、帰路より翌日の方がマシである程に、明後日は翌日よりマシではありません。言い換えれば、帰路と翌日との不快感の強さの差は、翌日と明後日との差よりも大きいということです。これをふまえて、不快感の強さは、以下の様な図式に表されるでしょう。

  帰路の雨>>>>>>翌日の雨>>>二日後の雨>>……

 こう見たとき、私は洗車から三日目に降られた訳ですけれど、その不快感が許容できるほど小さくなっていないことにも説明がつきます。というのも、「三日前に洗ったばかりなのに!」という感じは、たしかに、「昨日」や「一昨日」の場合の不快感よりも幾分かマシですが、そうはいってもそれほどマシではないからです。そしてもちろん、仮にこの体験が明日(ここでは2023年03月22日を指す)のものであったとして、今と比べてさほどマシだったとは思えません。であれば、「帰路」から「翌日」にかけての減少量が「翌日」から「二日後」にかけての減少量の倍ほどあったとしても、「二日後」から「三日後」にかけての減少量は、「翌日」から「二日後」にかけての減少量の半分にはならないと言わなければなりません。上ではそのことを、記号の数で図示しています。(※蛇足でしょうが、正確に「倍」であったり、2/3であったりすると考えているわけではありません。目安の話です)
 それにもかかわらず、私はたしかに、雨が洗車の一か月後なら良かったのに、と思っています。いうまでもなく、その間の乗車回数が今回と同じ、つまり0回であったとしてもです。私は学生身分なので、実際にそういうことは起こり得ます。
 そこに、先に掲げておいた図式を考え併せてみましょう。まず、「帰路」が洗車後、数分から数時間を指していること、換言すれば、hourのスケールにあることが指摘されます。同様にして、「翌日」や「二日後」は、dayのスケールにあります。さらに、私が許容できると感じる「一月後」は、monthのスケール上にある話です。そして、不快感の強さ、あるいは「マシ」だと感じる度合いは、このスケールの転換点で大きく変化していることに気が付きます。したがって、私たちの「早すぎる」という感じは、時間を測るスケールの転換時に解消されるのであろうと考えられます。このことから、許容範囲には個人差あるでしょうが、大抵の人は、洗車してから「一週間後」か「一か月後」の雨ならば許せる、というのではないでしょうか。

17, March, 2023

 やっと、重い腰を上げてホームページ公開に漕ぎ付けました。背景デザインの趣味が悪いとか、醜いおよびフォントが見難いだとか、そういった苦情の一切を受け付けておりません! ですが、サイズ感や配置にかんする文句は言っていただければ善処します。まあ、まだ連絡手段を開放していませんけれども。
 実は、以前使っていたはてなブログを非公開設定にしてからというもの、何度かHTMLを叩いてみてはいました。ですが、何れの機会にも時間とやる気と(主に後者)を満足に得ることができませんでした。その結果、こうして公開に至るまでに、非公開設定時から数えて二年ほどの歳月を要し、またその間に、四つほどのゴミフォルダを製造していた訳です。
 今回は、なぜかすんなりとやる気も出て、時間にも春休みのおかげで莫大な遊びがあります。今後、いちいちパソコンを開いて更新してゆけるのか、若干不安ですが、まあレン鯖もタダですし、気が向いたときに書きたいことを書いてゆこうと思います。

 さて、トップページに書くべきようなお話はここまでにしましょう。といって、今日は特段書く事もないので、年明けに広島を観光したときの話でもしましょうか。けれど、その旅行の話をするにはまず、同行者や広島と私との縁についてお教えしなければなりません。
 というのも私は、2010年度から2011年度まで、父親の仕事の都合で広島に住んでいました。ちょうど小学校の五六学年に当たります。そこで知り合った友人K君とは長く付き合いが続いており、小・中学生の頃は毎夜のように電話しておりました。しかし、高校に入ってからというもの、K君は熱心に勉強を始め、私は私で色々の都合がありましたから、二三年ばかり連絡も取らずにいました。私としては、きっと転勤族の性質なのでしょう、あまり気にも留めていなかったのですが、K君の方では、私の隣県に下宿を始めて、連絡を寄越してきました。当時はかえって私の方が忙しく、再開叶わなかったのですけれども、一年遅れて私もK君在籍校に近い大学へ這入り、たまに会うような間柄に戻りました。
 そうして、2022年末に再び会い、居酒屋で話していた際、彼は、年末年始広島へ帰省するのだと話しました。そして、お前も来たら面白かろうと言います。そんなら、私の方では自動車を所有しておりますから、君のこっちへ帰る二三日前に私も自動車で広島へ行って、二三日間君の実家へお邪魔した後で君を乗せて一緒に戻ってこようか、と提案しました。そりゃ好いと拍子に乗って話が進み、正月五日から七日まで、本当に広島を旅行するに至りました。
 旅行と言いましても、かつて住んだ土地ですし、私も彼も大した金を持っておりませんから、宮島やら何やの有名な観光地は訪れませんでしたけれども、昔どこに遊んだの、この店が潰れてしまったのと話しながら二人で散歩しさえすれば愉快でした。その中で驚いたのは、かつて遠い遠いと思っていた場所々々がすべて、歩いても容易に行かれる範囲内に在していたことです。小学生の頃とは歩幅の変わった故か、時間間隔の変わった故か、存じませんけれど、非常に狭い内で遊び回っておったのだと実感いたしました。現在、私が広島に比して広いと感じているこの場所も、未来の私には狭く感ぜられるのかもしれません。
 そんな訳で、散歩ばかりしておりましたから、交通費と御土産の他には特段お金の要らない旅行でしたが、大変に楽しめました。